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差し込む光。誰かの足音。
カーテンの隙間から零れ落ちる白い光を確かめ、キルアはゆっくりと目を開けた。――――朝だ。
元来、朝は苦手なキルアだったがゴンと出会ってからは嗜好が真逆になった。
一日の始まり。今日はどんな楽しいことが待っているのだろうと、これから訪れる素晴らしい日への期待に胸を膨らませる瞬間。
明るい光も、笑顔も、楽しい時間も、全てはゴンがくれたものだ。
今日もいつもと同じく、そんな明るい予感を胸に抱きながらキルアはキングサイズのベッドから上半身を起こした。
旅の途中に泊まったホテルは到底ただの子供二人が利用できるようなグレードではなかったが、二人のハンターライセンスは有無を言わさずスイート2部屋を用意させた。
(・・・こんな広い部屋なら別に1部屋で十分だったのにな)
折角用意してくれたのだから、と二人は別々の部屋を利用したが、寝る直前までゴンの部屋で枕投げとくだらないお喋りに興じていたキルアは、部屋を去る瞬間の何とも言えない物淋しさが苦手だった。
もっと一緒に居たい、もっと笑い合っていたい。そんな気持をグッと堪えて、聞き分けの良い子供のようにゴンの部屋を去る強がりに、一体何の意味があるのだろうか。
楽しい時間にザクリと楔を入れる夜は淋しくて、また笑い合える時間を迎える朝は嬉しい。
そんな風に感じるようになるなど、ゴンと出会う前には全く想像もできなかったのに、とキルアは思う。
シャワーを浴び、軽く身支度を整えてから部屋の外に出てゴンの部屋のドアをノックした。
「ゴンーー? そろそろ朝飯食いに行こうぜー」
ルームサービスを利用すれば良い話だが、「バイキングでおなかいっぱい食べたい!」と主張したゴンの意向に沿って階下のレストランへと足を運ぶことになっていた。しかし、ドアの向こうから返事はない。キルアは耳を澄ませるが、シャワーを浴びている気配もない。
(先に行っちまったのかな・・・?)
確率は極めて低いながらもその可能性を疑いつつ、ドアに背を向けかけるキルア。しかし、部屋の中から微かに聞こえる風の音に足を止めた。
(窓でも開いてんのか?)
歯車が噛み合わないような違和感にキルアは眉をひそめ、今度はドアに耳をあてて中の様子を探る。常人より遥かに優れた聴覚を研ぎ澄ませるが、やはり中に人が居る気配は無く風の音とカーテンの揺れる音が聞こえる。
違和感は漠然とした不安に変わり、キルアはドアノブに手を掛けた。電子ロックは通常の鍵穴よりもむしろ、キルアにとって開けることは容易い。パチ、と何かが弾ける音と共にすんなりとロックは解除された。
鏡合わせのようにキルアの部屋とつくりが全く反対になっているゴンの部屋を奥へと進み、慎重に寝室のドアを開ける。そこにはやはり、ゴンの姿は無い。だが、ベッドにはつい先程までゴンが寝ていたかのような形でシーツの跡が残っている。
キルアは窓に目をやる。風に煽られてカーテンが揺れている――――窓の下にはガラス片が散乱しており、平和的に開かれたものではない事は明らかだった。
「・・・!」
冷静に、周囲を探るキルア。しかし、注意するまでもなく手掛かりは目の前にあった。ベッドのサイドテーブルに、見慣れぬ一枚の紙切れ。キルアは、奥歯を噛み締めながらそっとその紙を手に取った。
『おはよう、キルア♥ 突然だけど、君の大事なゴンは僕が預かった♣ 一週間以内に僕らの居場所を見つけてごらん♠ (★− −▲)』
ザワ、と怒りで全身が総毛立つのをキルアは感じた。反射的に、手にした紙をグシャリと握りしめる。
「ふっざけやがって、ヒソカの野郎・・・!」
その場に居らぬ凶悪な奇人の姿を思い浮かべ、キルアは怒りを露にして呟く。
(ゴンを攫った? どうやって!? いくら相手がヒソカでも、寝ているゴンが気づかないままひとつの物音も立てないで攫うなんて・・・)
ギリ、と奥歯を噛み締めたままキルアは様々な可能性を思い描く。
ゴンは薬か毒でも盛られて全く動けぬ状態にされたのだろうか、それとも動けぬほどの怪我を負わされたとか、もしかしたらゴンのことだからキルアのことを引き合いに出されおとなしくしなければキルアを殺すなどと脅されたのかもしれない、などあり得る可能性全てを思い描くが、いずれにしてもゴンがヒソカに攫われたという事実は揺るがない現実だ。
破られた窓とはためくカーテンを眺めていると、したり顔のヒソカがゴンの身体を抱きかかえて闇夜に去っていく様が脳裏に浮かび、キルアは無性に腹立たしい気持になった。
(ふざけやがって・・・!)
キルアはもう一度心の中で呟き、拳をグッと握り締めた。
(ひょっとしたら、まだ近くに手がかりがあるかもしれない)
望みは限りなくゼロに近しいが、何もせずに手をこまねいているよりはマシだ。キルアはそう思い至り、ホテルフロントや近隣住民に聞き込みを実施すべくゴンの部屋を飛び出した。
日が傾きかける時刻までホテル近辺を探索したキルアだったが、結果から言えば収穫はゼロだった。目撃情報、不審な物音、些細な変化でも何でもいいから昨夜何か気づいた事はなかったかと尋ねて回ったところで、有力な情報が得られるはずもなくキルアは途方に暮れていた。
キルアはゴンに何度目かの電話を掛けてみたが当然通じることもなく「お客様のお掛けになった番号は〜」と不在アナウンスが流れるだけであった。チッと舌打ちをして、キルアは溜息混じりに電源ボタンを押下する。
続いてキルアはヒソカの番号を選択するが、こちらは不在アナウンスが流れる事はないが呼び出し音のまま繋がることなく留守番電話が応じる。
ゴンを攫ったのが本当にヒソカで、二人が同じ場所に居るのなら、電波は届く場所だがゴンの携帯だけ電源が切られた状態だという推測が成り立つ。
そもそもキルアはヒソカの番号を知らなかった。今しがた掛けた番号はクラピカから聞いたものだった。ヒソカの連絡先を知る人物としてキルアが真っ先に思い浮かべたのがクラピカだった。
昼前にクラピカに連絡した際、キルアは一通りの事情を説明した上でヒソカの連絡先を教えてくれと頼んだが、冷静で聡明なクラピカは非常に有用な助言を与えてくれた。
「勿論、ヒソカの番号は喜んで教えよう。が、ゴンを攫ったのがヒソカだといえる手がかりは部屋に残されたメモだけなんだろう? ゴンほどの実力者を物音ひとつ立てず、それこそキルアにも気づかれることなく攫っていくなど常人にできる業ではないから、確かにヒソカが犯人だという確率が圧倒的に高いけれど、断定はできないのではないか」
用心深いクラピカらしい考察をもっともだと思いながらも、キルアは溜息を吐いた。
「そりゃあそうかもしれないけどさ、仮に敵がヒソカじゃなかったら、そっちの方が厄介だぜ。相手の目的がさっぱりわかんないもん」
「じゃあ、ヒソカだったら目的がわかるのか?」
他意はない質問だったのだろうが、キルアはグッと答えに詰まった。
普段から見せるヒソカの不穏な目つき。ゴンを見つめるその眼の奥に宿る、悪意や殺意とは別物の悪戯めいた色に、キルアは度々苛立ちを感じていた。
ヒソカがゴンを見つめる目つきがキルアの気に障る本当の理由に、キルア自身は気づいていなかったが――――否、気づかぬ振りをしていただけかもしれないが。
「まぁ・・・正直目的はわかんないけど、ヒソカはゴンのこと気に入ってるから、ヒソカと一緒なら少なくとも殺されるような事はないだろうな、って」
よからぬ妄想が頭を過ぎりそうになるのを必死に振り払いながら、キルアはなんでもない風を装って答えた。
しかし、クラピカは『犯人の目的』について更に追求する。
「居場所を推測するのに、敵の目的を図るのは有効な手立てだ。そもそも、誘拐という行為自体、身代金の要求や人質との交換を条件に何か取引をする為のものなのに、相手はそれを要求してきていないのだろう?」
その点についてはキルアも不思議に思っていた為、「ああ」と頷きながら補足する。
「しかも『一週間以内』なんて期間限定だ。取引するには一週間なんてむしろ長過ぎる。これからオレに対して何か要求があるのかもしれないけど、『僕らの居場所を探してごらん』なんて言い方からすると、まるで・・・
オレが、ゴンとヒソカの居場所を探す行為自体が目的みたいに見えるんだけど」
自分の言葉ながら、案外当たっているかも、とキルアは思った。クラピカも「確かにな」と相槌を打ってから続けた。
「だとすると、一週間以内に二人を見つけられなかった場合にどうなるのかが怖いな。キルアの言う通り、相手がヒソカだとすれば確かにゴンを殺すという事は考えにくいが、なんらかのペナルティはあり得る」
ペナルティ、という言葉にキルアはまたよからぬ事を想像してしまいそうになり、ブンブン頭を横に振って「とにかくさ」と言葉を繋いだ。
「ヒソカの居場所に心当たりなんて・・・あるはずないか」
聞いている途中で馬鹿げた質問だったと気づいたキルアは言葉尻をしぼめ、クラピカも弱った風に「残念ながら」と答えた。
「キルア、私は仕事を抜けられそうもないが、センリツだったら数日屋敷を抜けても問題はないと思う。もしよければ、私から頼んでみるが?」
そのクラピカの心遣いに、キルアはとても温かいものを感じた。確かに、センリツの能力があれば心強いことこの上ない。センリツはゴンにもヒソカにも会っている為、力技ではあるが二人の鼓動の音をたどって居場所を突き止めることも不可能ではないはずだ。
「ありがとう、クラピカ・・・でも、まずはオレ一人で探すよ。どうしてもヤバそうな場合に、頼むかもしれないけど」
クラピカは敵を断定できないと言ったが、キルアは心中、ゴンを攫ったのはヒソカに間違いないと確信していた。メッセージの残し方といい、跡は残すが尻尾は掴ませないというような愉快犯的なやり方が、どうにもヒソカらしいと感じさせていた。
ヒソカがゴンをだしにして自分にケンカを吹っかけてきたなら、できるところまでだとしても、自分ひとりで受けて立つと思ってしまったキルアであった。
(何考えてんのかさっぱりわかんないけど、ゴンを連れ去ったって事実は本気で気に入らない)
そんなキルアの心中を察してか、クラピカは食い下がることもなく「そうか」と告げた。
「だがキルア、私はいつでもお前達の仲間だ。何か困ったことがあれば遠慮なく連絡してくれ。力になれることがあればなんでもするし、何よりゴンの身が心配だ。私もヒソカについて、できる限り調べてみるよ」
クラピカは、ヒソカの連絡先は後でメールすると言い「くれぐれも、無理はするなよ」と最後に告げて電話を切った。
それが、5時間ほど前の事である。
闇雲に動き回ったところで敵を見つけられる確率は低い。それどころか、何かのヒントを見落としてしまう可能性もある為、キルアは極力遠くへは行かず、泊まったホテルのある街に留まっていたがこれ以上探したところで何も出てきそうもない。
今後の行動をどうしようかと途方に暮れていたところに、突然、キルアの電話が鳴った。
発信者は――――『ゴン』。
2コール目でキルアは電話の受話口に飛びついた。
「ゴン、無事かっ!?」
「キルア、大丈夫!?」
電話が繋がったと同時に重なって発せられた二人の言葉。一瞬、ポカンとしてしまいキルアは思わずプッと吹き出した。それは電話口の向こうのゴンも同じだったようで「アハハ」と元気な笑い声が聞こえた。
それだけで、キルアは何故か泣きたくなるほど安心してしまい、身体の力が抜けてその場に座り込んだ。
(ゴン・・・良かった、無事で・・・)
大切な人が側に居ない、安否が知れない、という事がこんなにも自分を不安にさせていたのかと、ゴンの声を耳にして初めて自覚したキルア。思わずこみ上げそうになる涙を必死に堪えながら、キルアは声を絞り出した。
「なんだよお前、ヒソカなんかに連れ去られて・・・だっせぇ」
震えそうになる声をごまかす為に、わざと憎まれ口を叩くキルア。「えぇ〜」と不満そうなゴンの声が耳に届く。ぶすくれている表情が目に浮かぶようで、キルアはフフッと微笑んだ。
「キルア・・・ごめんね、心配掛けて」
殊勝に謝るゴンの声に、キルアは「いーよ、別に」と強がって答える。
「ところでお前、どこに居るんだよ?」
ストレートに一番の疑問をぶつけるキルア。ゴンは「ん〜、それがさぁ」と弱った声で答える。
「オレも、此処がどこだか全然わかんないんだよ。ヒソカ、教えてくれないし」
その言葉で、ゴンを攫った相手がヒソカで間違いないことが判明した。僅かでも手がかりが掴めないかと、苦し紛れにキルアは「ゴン、お前が居る場所、今夕方か?」と尋ねる。
「うん、多分・・・」
答えるゴンの言葉が電話の向こうでフェードアウトしていく。「ああぁー!」と遠くでゴンが叫ぶ声が聞こえ、それに被せるように「やあ、キルア♦」と厭な声が電話口から届いた。
「ヒソカ! てめぇ、ふざけんなよ!! ゴンを返せ!」
叫ぶキルアにヒソカはクックッと愉快そうに笑う。
「勿論♥ 一週間以内に僕らを見つけられたら無事に帰してあげるよ♣ じゃあ、一つ目のヒントをあげよう♦」
余裕たっぷりのヒソカの言動にキルアは猛烈に腹が立ち、ギリッと奥歯を噛み締めるが、何の手がかりもないまま二人の行方を探すことは不可能に等しく、仕方なくヒソカの言葉を待つ。
「僕らが居るこの場所は・・・或る塔の最上階だ♠」
塔、というキーワード。それだけで、大分探す目的地が絞られるとキルアは安堵する。
「という訳だから、頑張って僕らを見つけ出しておくれよ、キルア♥」
そこで電話を切られてしまいそうな空気に焦り、キルアは「ちょっと待て!」と慌てて声を発する。
「お前の目的は何なんだ、ヒソカ!?」
最大の疑問を投げつけるキルア。すると今度は「アッハッハ♦」と高らかな笑い声が響いた。
「キミとゴンって本当に仲良しなんだね♦ 同じ事をゴンにも聞かれたけど、答えはシンプルさ♠ 僕はただ、楽しみたいだけだよ♣」
『楽しみたいだけ』。ヒソカが言うと本当らしくも聞こえるが、何か裏があるに違いないと勘ぐるキルア。しかし、それをあっさりと明かすような相手でもなく、キルアは返す言葉が見つけられない。
「これはただのゲームさ♦ キミが僕らを見つけるか、僕らが隠れ通せるか♠ 一日1回、今日と同じくらいの時間に電話を掛けるよ、気が向けばヒントもあげるから♣ 大丈夫、僕はゴンを連れて逃げたりせず一週間は此処に留まるから、ゆっくり探してくれ♣」
じゃあね、と楽しそうに言い放ちヒソカは電話を切った。
何も言い返せず、相手の言うがままにする他ない現状に苛立つキルア。しかし、ゴンを攫われた状態でそのまま放置できるはずもなく、ヒソカの言う『ゲーム』に乗らざるを得ない。
(お前はゴンと一緒に居られて楽しいかもしれないけど、オレはちっとも楽しくねーよ、ヒソカ!)
心の中で毒づいて、キルアは『塔』をキーワードに電脳ネットをめくるべく、ネットカフェへと向かった。