1
明るい世界。微かな鳥の声。
うつろな意識の中、瞼に光を感じてゴンは薄く目を開けた。――――朝だ。
少しひんやりとした空気の冴えた朝。希望に満ちた一日の始まりを予感させるはずの光にほんの僅かな違和感を覚えたゴンは、眠気を払うように「んっ」と声を上げてベッドの上で伸びをした。
「おはよう、ゴン♦」
聞き慣れてはいるがこの状況で耳にするのは絶対にありえないその声に、ゴンは反射的に飛び起きて臨戦態勢を取る。
しかしゴンはそこで、違和感の正体のひとつに気付く。
(・・・!? オーラが、出せない・・・?)
念を覚えてから一日たりとも欠かさず続けてきたはずの『練』さえできない。
それはまるで、どんなに熱くとも汗をかくことを禁じられた身体のようで、身体を巡る何かの流れが滞っているような不快感にゴンは眉をひそめる。
念を使えぬ不安と焦りを表情に浮かべるゴンを見て、声の主――――ヒソカは薄い笑みを浮かべながら告げた。
「ん〜、残念だけどゴン、君の念能力は封じさせてもらったよ♣ 強制的な『絶』の状態という訳♦」
ヒソカは部屋の中央の一人掛けソファに腰を下ろしゴンの戸惑う表情を興味深く見つめていた。開いた脚に両の肘をつき、指を組んで面映そうに困惑するゴンを眺めている。
ゆったりと構えるヒソカの姿を目にして、ゴンは軽いパニックに陥りかける。
(どうしてヒソカがここに!? そもそも、ここは何処? 昨日はキルアとホテルに泊まったはずなのに・・・キルア、キルアはどこ? どうしてオレは念が使えないの、何をされたの? キルアは無事なの!?)
どんなに考えても答えの出ない疑問がゴンの頭の中をグルグルと巡り、不安が心臓を早鐘のように打ち鳴らす。得体も目的も知れぬ凶悪な男を前に、状況が把握できないことと念が使えないことでゴンの緊張は一気に昂ぶり、その様子はまるで仔猫が必死に全身の毛を逆立たせて威嚇しているような体であった。
そんな素振りがヒソカの興奮を煽っていることなど、無論、本人は露と知る由もないのだが。
「落ち着きなよ、ゴン・・・僕は君に危害を加えるつもりはないよ♥ むしろ、その為に念を封じさせてもらったようなものなんだから♣」
心底愉快そうに笑んで、ヒソカは猫撫で声で言う。その言葉は今のゴンにはまるで届いてはいないが、むしろヒソカは一方的な言葉の投げ掛けを楽しんでいる様子だ。
ゴンは溢れ出る疑問と混乱を抱えたまま、必死に状況を把握しようと周囲に素早く視線を泳がせた。
石造りの部屋、天井は少し低い。20畳ほどの広さがあるだろうか、テレビやソファにローテーブルなど一通りの応接具が揃えられている。窓はひとつ、パノラマ形の大きな窓だが曇りガラスの嵌め殺し。そして出口は――――ドアはひとつ。薄く笑みを浮かべて佇むヒソカの肩越しに木製のドアが見えた。
(念も使えない状態なのに、ヒソカに捕まらずにあそこまで跳ぶことなんて絶対に無理だ・・・! なんとか隙を作らなきゃ)
緊張ゆえの浅い一呼吸のうちにそれだけの状況を把握したゴンは、ほんの微かにチラリと視線を出口の方へと動かした。
しかし、ヒソカにはそれだけでゴンの思考を読み取るには十分だった。
「無駄だよ、ゴン・・・そもそも、あのドアの向こうはバスルームで出口じゃない♣」
「・・・!?」
今度のヒソカの言葉の内容はゴンに届いたようだ。考えを見透かされたことよりも、この部屋にあるたった一つの扉が出口ではないという事実に驚くゴン。
「え・・・? じゃあ、出口は?」
そこで素直に口に出して聞いてしまう所がゴンのゴンたる所以なのだが、あまりの素直さにヒソカはいつものことながらプッと噴き出してしまう。一方ゴンも、目の前に居るのは知らぬ仲の人物ではなしに、と開き直って頭の中に渦巻く疑問をひとつずつ聞いていけば良いのだとようやく気づいた。
クスクスと肩を震わせて笑いながら、ヒソカは「ないよ」とあっけなくゴンの問いに答えた。
「残念だけど、この部屋には出口はない♣ ゴン、君はずっとこの部屋で僕と暮らすんだよ♥」
「ええっ!? そんなの嫌だ、困るよ!」
「・・・♠」
にべもなく言い放つゴンの言葉に憮然とするヒソカ。冗談を真に受けてどストレートに拒絶されるのも切ないものがあると、ヒソカは心の内でそっと溜息を吐いた。
「・・・嘘だよ♣ でも、この部屋に出口がないのは本当だ♦」
その言葉と共にソファから立ち上がるヒソカ。ゴンは下腹に力を込め、更に緊張感高く身構える。
ベッドに歩み寄ったヒソカは、ゴンの目の前に立ちピッと1枚のカードを指に挟んでかざして見せた。
それは"ダイヤの7"のカード。
「7日間・・・一週間だ♣」
「!?」
不可解な表情を浮かべるゴンに、ヒソカは得意げに言葉を続けた。
「一週間、君はこの部屋で僕と暮らす。この間にキルアが君を助けに来ることができれば君たちの勝ち♦ できなければ僕の勝ち♥」
「???」
いまだヒソカの言葉の内容を飲み込めないゴンはひたすら首を傾げるばかりだ。
ゴンがこのように困惑する表情を眺めるのが好きなヒソカは、満足そうにニッコリ微笑んで告げた。
「なに、ただのかくれんぼだよ♥ と言っても、僕らは逃げ回る訳じゃなくて此処に留まり続けるけどね♠
定期的にキルアにはヒントを出す。キルアはそのヒントを元にこの場所を探し当てるゲームさ♣」
かくれんぼ、ゲーム、という単語からどうやらヒソカには命のやり取りをする気はないことを悟るゴン。そして、ゲームの主体者はキルアであるらしい事実。
「キルア・・・キルアは無事なの!?」
昨日までずっと一緒に居たはずの親友の身を案じるゴン。
ゴン自身に何が起こったのかも把握できていない状況だが、離れた相手の状況ならば尚更知ることはできない。ゴンが念を使えない状態なら、キルアの身にも何か良くないことが起こっているのではないかと強い不安に駆られる。
「勿論、無事だよ♥ 当然、危害も加えていない。後でキルアに電話を掛けさせてあげるから、自分で確かめてごらん♥」
電話、と言われてゴンは反射的に自分のパンツのポケットを探った。しかし、そこにはいつもあるはずの携帯電話はない。
「探し物は、これかい?」
何もかもお見通しという顔でヒソカはビートル型の電話をゴンの目の前に差し出した。瞬間的に素早く手を伸ばすゴンに対し、サッと電話を持った手を上にあげるヒソカ。挑発するように電話を上げ下げするヒソカにまんまとつられ、まるでダンスを踊っているような格好になるゴン。やっていることが完全に子供じみている(事実、ゴンは子供だが)。
「もおぉぉぉ! 返せよ、ヒソカ! それ、オレのでしょ!?」
むくれるゴンにヒソカは益々ご満悦の様子。
「ダメだよ、ゴン♥ ルールは守らなきゃ。キルアに電話を掛けていいのは1日1回♣ 電話を掛けるタイミングも、僕が指示する」
一人愉しそうな様子のヒソカを見て、ゴンは益々むくれていく。
考えてみれば、事情もわからぬまま見知らぬ部屋に連れ込まれ、念能力を奪われ電話まで奪われ自由も奪われ、一週間此処に居ろなど勝手なことばかりを言われている。状況の理不尽さに今更気づき、ゴンは更にむうぅぅとむくれていった。
「なんでヒソカにそんなこと命令されなきゃいけないんだ!? そもそも此処はどこなの、なんで出口がないの、出口がないならどうやってこの部屋に入ったの、いつの間にオレを連れてきたの、なんでオレは念が使えないの、ってゆーかお前の目的は一体」
息継ぎ。
「何なんだ!?」
一気に捲し立て、思わず肩でゼイゼイ息をするゴン。しかし、渦巻く疑問を全てぶちまけたので、気持的にはだいぶスッキリした様子である。一方のヒソカは、矢継ぎ早に質問を捲し立てたゴンを「おぉ♦」と感嘆の面持ちで眺めている。
呼吸を整え、キッとヒソカを睨みつけるゴン。ヒソカは余裕たっぷりに微笑んで腕を組み、指を一本立てた。
「オーケイ、ゴン♥ ひとつずつ答えようか♣ まず、僕の目的。これは、ただ楽しみたいだけ♥」
茶化すような口調と満面の笑み。馬鹿にされている空気にゴンはまたムッとして、思わず指を突きつけて「嘘だ!」と叫んでしまう。嘘吐きに「嘘だ」などと抗議するのも不毛な話だ、と内心釈然としないものを感じながら。
しかしヒソカは、大仰に「心外だ」という表情を浮かべて見せる。
「これは本当だよ、ゴン♦ 大好きな君と一緒に居られるなんて、とてもワクワクする一週間じゃないか♥」
本気とも冗談とも取れないその言葉に、ゴンはワクワクどころかゾクゾクと寒気を感じてしまう。
「・・・念を使えなくても?」
もし仮にヒソカの言葉が本当だとしても、戦闘狂のヒソカは念能力者・ハンターとしての自分に興味があるのだと理解しているゴンには、念を使えなくされたことが全く解せない。
「念が使えたら、君は此処からなんとしても逃げようとするだろう? 出口のない部屋だとしても、壁を破ってでも、窓を割ってでも♠ そうされると困るから念を封じさせてもらったのさ♦」
得意げな笑みを浮かべながら、ヒソカは続ける。
「このゲームは、君は捕らわれのお姫様役で居てもらわないと成立しないんだ♣ だから、僕としても残念ではあるけど君の念は封じさせてもらったよ♠」
言いながら、「ああ」と思いついたようにヒソカは更に言葉を続ける。
「心配しなくても大丈夫、一週間すれば君の念能力は元に戻すから♦ これは約束するよ♣」
ゴンを安心させるように微笑むヒソカ。しかしゴンは、まだまだ釈然としない表情で質問を続けた。
「じゃあ、此処はどこなのさ?」
「・・・残念ながら、それは教えられない♣」
「・・・ゲームが成立しなくなるから?」
「良い子だね、ゴン、その通り♥ 後でキルアに電話を掛けてもらうと言っただろう? その時に余計な情報を与えてもらっては困るからね♠ という訳で、君には此処がどこなのかは教えられない♣」
まだ、いまいち納得のいかない表情のゴン。更に問いかけを続ける。
「もし一週間経って、キルアがここを見つけられなかったら?」
「ゲームオーバー♠」
ピッと音を立て、先ほど差し出したダイヤの7のカードがヒソカの指の間で半分に裂けた。
「別に君たちの命まで取るつもりはないよ♣ まだまだ成長途中の君たちだ、もっともっと育ってもらいたいしね♥ でも、そうだね・・・」
そう言って、ヒソカは言葉を切ってゴンに舐めるような視線を投げる。その眼にゴンはまたゾワッと寒気を感じてしまう。
「僕が勝ったら、君を僕の好きにして良い、というところかな♦」
その言葉の内容に、ゴンは心底嫌なものを感じて口をへの字に曲げた。正直なゴンの表情に、ヒソカはまたクックッと肩を震わせて笑う。
「一週間経ったら、キルアがオレを見つけてくれるかどうかに関わらず、オレを解放してくれるの? キルアにも会わせてくれる?」
どうもこの『ゲーム』とやらに付き合わなければいけないようだと半ば観念したゴンは、細かい疑問は後回しにして大切なことだけまず確認しておくことにした。その質問に、ヒソカはゆっくりと頷く。
「そうだね♦ とにかく一週間、此処で大人しくしてくれていれば当然キルアにも君にも僕は危害を加えないし、念能力も元に戻す。その後、此処から出る努力をするのはキミの自由だ♠」
言い換えれば「念は使えるようにしてやるから自力で脱出しろ」ということだが、ゴンにはそれで十分である。納得のいかない部分を残しながらも、ゴンはひとまず頷いた。
「・・・わかったよ、ヒソカ。じゃあとにかくオレは、此処でキルアが来てくれるのを待っていれば良いんだね」
溜息混じりに、諦めたように言うゴンにヒソカは実に満足そうな表情を浮かべた。
「その通り♥ 物分かりが良くて助かるよ♦」
白々しく言い放つヒソカにゴンは思わずベーッと舌を出す。
「その代わり、ちゃんと約束守ってよ!? 一週間したら、必ずオレの念を戻すって!」
「勿論♥ 念が使えなくても君は十分魅力的だけど、念を使えない状態のままでは僕も困る♣」
眉尻を下げた表情でおどけるヒソカ。その言葉に再び寒気を感じるゴン。
ヒソカは珍妙な表情をしているゴンに近づき背を屈めて、ベッドに膝をつくゴンと視線の高さを合わせた。そして、穏やかな笑顔で言う。
「指きりしようか?」
いつもの血生臭い殺伐とした空気を微塵も感じさせない、不意に見せられたその笑顔にゴンは一瞬気を許してしまい、差し出されたヒソカの小指に反射的に指を絡めた。
素直に応じたゴンを満足そうに見つめ、笑顔のままヒソカは「ゆびきりげんまん♣」と馴染みのフレーズを口ずさむ。つられてゴンも「うそついたらはりせんぼんのーます」と調子を合わせてしまう。
「ゆびきった♥」
絡めた指を解くはずのタイミングに指を離そうとしないヒソカに訝しく思い、ゴンが視線を上げるとすぐ目の前にヒソカの顔があり、驚いた拍子に唇が重なった。
「※△■¥%#☆@〜〜〜!?」
あまりに有り得ない出来事に完全にパニックに陥るゴン。声にならない声はヒソカの唇で塞がれたままだが、絡めた小指を離し両手をヒソカの肩に充て、なんとか相手の身体を遠ざけようと力を込める。しかし、当然ながらヒソカの身体はビクともしない。
ヒソカは戯れるようにゴンの唇を舌で撫で、柔らかく下唇を食んでから顔を離した。満足そうな笑みを浮かべるヒソカと、あまりの出来事に目を白黒させ唖然としているゴン。期待通りのゴンの反応に、ヒソカはまた嬉しそうにククッと笑う。
「アレ? 指きりの後は誓いのキスをするんじゃなかったっけ?」
わざとらしく飄々と嘯くヒソカ。ゴンが生まれ育った地の風習など、どこで伝え聞いたのやら。
ゴンは唖然としながらもようやくハッと我に返り、数瞬後にはゴゴゴゴと怒りに身体を震わせていた。
「誓いのチューは女の人と約束する時だけ!! しかも、ホントにチューするわけじゃないし! ていうか、何、なんで・・・うわぁ・・・」
激昂し怒鳴っている間に、ヒソカとキスしてしまった事実を再度認識してしまい、ゴンはそっぽを向いて口元を押さえ、嘆くように脱力して項垂れた。
しばらく立ち直る気配のないゴンの肩をポンポンと叩き、ヒソカはすこぶる楽しそうな調子で告げた。
「そういう訳だから、これから一週間ヨロシクね、ゴン♪」
ウキウキ楽しそうなヒソカと対極的にズーンとうちひしがれているゴン。
(なんか・・・いろんな意味で、この一週間すごく疲れる気がする・・・)
憂鬱な予感に気持を沈めながら、ゴンは親友の顔を思い浮かべ一縷の望みを託す。
(キルアお願い・・・早く助けに来て・・・!)
不条理に無情に突然始まった『ゲーム』に巻き込まれたゴンは、一刻も早いキルアの登場を心待ちにするのであった。