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美しくライトアップされた時計塔。暗い夜でも、街のシンボルとして堂々とそびえ立っている。
最上階の大時鍾が掲げられた部屋に、ヒソカは佇む。床に座り、トランプタワーを積み上げながら、その時が来るのを楽しみに待つ。
ふと、ヒソカは目を上げた。
音も気配も無く現れた人影に、ヒソカはニッコリと満足そうに微笑んだ。
「やあ・・・来てくれたね♥」
暗闇に溶け込むように佇むクロロ。側には、ピッタリと寄り添うようにスカート姿のゴンが居る。
そんな二人の姿を見て、ヒソカは苦笑を零す。
「いつの間にか、随分仲良くなったみたいじゃないか♣ 僕、ちょっと妬いちゃうな♠」
茶化すように言うヒソカに、クロロは反応せずにただ一言、「本物の『ソーマの書』を渡してもらおうか?」と静かに語り掛ける。
「ゴンと交換だよ、って言いたいところなんだけど・・・♣」
立ち上がり、積み上げたタワーを愉しそうにバサバサっと崩すヒソカ。
「貴方、ゴンを殺すつもり、ないでしょ?」
ニィ、と笑んでヒソカはクロロに問い掛ける。闇を纏ったクロロの表情は、伺えない。
「だったら、こんな物と交換するより、やっぱり力ずくでゴンを奪い返した方が、楽しいんじゃない?」
言い放つと、ヒソカは凶悪な笑みを浮かべてズズ・・・と念を練る。濃密で、息苦しくなるほど重いオーラ。堪らず、ゴンは『纏』を行う。目線は、こんな物と言いながらヒソカが差し出した『ソーマの書』から離さずに。
「俺は、お前と闘う気はない」
言いながらも、クロロは念を練り、ヒソカと対峙する。
ゴン自身も『練』を行い、好機を伺う。
ハンター試験の時と同じ。チャンスは一瞬。ヒソカの攻撃のタイミング。それが、ゴンがヒソカから『ソーマの書』を奪う、唯一のチャンス。
一呼吸。
一瞬の静寂。
音もなく、その場から消え去ったかのようなスピードで、ヒソカが床を蹴って攻撃を仕掛ける。
――――ゴンに、向かって。
「!?」
ゴン自身、何が起こったのかわからぬまま、腹に強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされる。
時計台の時鐘室に壁はなく、等間隔に柱が建てられ吹き抜けになっている。その、柱と柱の間を抜け、ゴンの身体は外へと投げ出される。
ヒソカの行動に驚いたのは、クロロも同様だ。突然の出来事に、思わずクロロは目でゴンを追い、ヒソカの二撃目への注意が散漫になる。『硬』で繰り出したヒソカの拳をギリギリでかわし、クロロは――――ヒソカに背を向け、ゴンを追う。
しかし、フロアの縁にクロロが辿り着いた瞬間には既にゴンは落下の途中。
ゴンの身体を瞬間移動させようと、右手にスキルハンターを携えたところで、再びヒソカはクロロに攻撃を仕掛け、右手目掛けて蹴りを入れる。それを再び、ギリギリのところでかわすクロロ。
ヒソカの攻撃はかわしたが、クロロの能力は発動されていない。ゴンの落下は、食い止められない。
「・・・大事なお気に入りの玩具を、自らの手で壊すつもりか?」
クロロは眼光鋭くヒソカを捉えて問い掛ける。突然の出来事に、戸惑いながらも怒りを滲ませているクロロの様子に、ヒソカは驚きながら興奮を募らせる。
「意外だなぁ♠ そっちこそ、そんなにあの子が気に入ったの?」
普段あまり感情を見せないクロロが怒りを自分に向けていることを悦んで、ヒソカは機嫌良く言う。
だが、ヒソカの胸の内は複雑だ。ゴンを塔から蹴落としたのは、クロロとの一対一の勝負を邪魔されない為だが(ゴン自身が邪魔をするのも、クロロに人質に取られるのもヒソカとしては避けたかった)、まさか時計台から落ちゆくゴンを助ける為にクロロが動くとは予想もしていなかった行動だ。おかげで、色々と計画が狂う。
クロロは、ヒソカのバンジーガムが届かぬ間合いを保つ。ジリジリと距離を詰めようとするヒソカに合わせて、クロロは後退し、やがて時鐘室の縁まで追いやられる。
「逃がさないよ、クロロ♥」
ニヤリと笑んでクロロを追い詰めるヒソカ。しかし、クロロもまた余裕の表情は崩さない。
「いや、逃げるさ」
そうクロロが言い放った瞬間、唐突に突風が時鐘室に吹き込んだ。響く、細いエンジン音。一筋に伸びる、サーチライト。
次の瞬間、外からヒソカ目掛けて銃弾が打ち込まれる。否、銃弾ではなく、念弾。ヒソカはバンジーガムですべての念弾を防ぐ。
その間にクロロは床を蹴り、リンドンの夜空に跳ぶ。頭上を飛ぶサイレンサーつきのヘリから垂れ下がった縄梯子に捕まり、怪盗よろしく、ヘリは高度を上げて夜空へと消えていった。
「・・・あ〜あ♣」
ヒソカは、名残惜しそうに小さくなっていくヘリとクロロの姿を見送る。そして、フン、と息を吐いて眼下を見下ろす。サイレンと男たちの怒号は、いまだ街のあちこちで響き渡っている。
ヒソカは携帯電話を取り出し、イルミへとメールを送る。
『『ジョーカー』ごっこはもう十分♠』
ヒソカは崩したトランプタワーの中から一枚のカードを拾い上げ、つまらなそうに夜の街へと放り投げた。
「っぶねー! びっくりしたーー!!」
驚きながらも、ビッグ・ベンの下で見事、落下してくるゴンの身体をキャッチしたキルア。何処にクロロが居るのかもわからぬ為、キルアはゴンの身体を抱えたまま、全速力でその場を離れようと駆け抜ける。
「・・・え、キルアっ!?」
腹に喰らった蹴りと落下の衝撃で固まっていたゴンは、ビリッと感じた電気のオーラで覚醒しキルアの姿を確認する。キルアは、少し気恥ずかしそうに「おう」と返事をする。
「・・・なんで居るの?」
驚きながら問うゴンに、キルアはなんと答えたら良いものか逡巡し、照れくさそうに告げた。
「・・・いつまで経っても帰ってこねーから、迎えに来た」
悪いかよ!? と開き直るキルアに、ゴンは心底申し訳なさそうにシュンとしながらも「ありがと、キルア」と小さく伝える。
「キルア・・・」
呼びかけるゴンに、キルアは「ん?」と返事をする。
「クロロは・・・怖かったよ」
神妙に告げるゴンに、キルアは「ったりめーだろ、バカ! だから言ったじゃねーか!」と叱りつける。「うん、ゴメン・・・」とゴンはますますシュンと縮こまる。
「キルア」
と、ゴンはまた呼び掛ける。「なんだよ」と柔らかく、返事をするキルア。
沢山の出来事があって、ゴンにはキルアに聞いてもらいたいことが山ほどあった。クロロのこと、ヒソカのこと。それは、キルアにとっても同様だった。何から話したら良いだろうかと二人は逡巡する。
だが、ゴンの口から出たのは。
「・・・疲れたから、早くホテル帰って寝たいな」
気の抜けた声でそう呟くゴンに、キルアはプッと吹き出す。
「ホントだよな・・・」
心底同感、という調子で同意して、キルアは家路を急ぐ。
暗く長い夜が、明けようとしていた。
ホテルの部屋に着くと同時に、見計らったようなタイミングでゴンの携帯が震えた。電話の着信に、ゴンはディスプレイも確認せずに慌てて携帯を取る。
「・・・生きてるか?」
「クロロ・・・」
先ほどまでずっと一緒に居た男の声に、恐怖と安堵が入り混じったような不思議な感情を抱くゴン。一緒に居たのは一日にも満たない時間なのに、なぜかもっとずっと長い時間を共有していたような気になってしまう。
「生きているなら、それで良い。また会おう、ゴン」
それだけ告げて、クロロからの電話は終わった。たった20秒の通話履歴。
決して千切れぬ蜘蛛の糸。何処まで行っても逃げ切れぬような感覚に陥り、ゴンは複雑な思いに捉われる。
手の中の携帯電話を、ゴンは暫く見つめ続けていた。