少し時間が遡る。
 ブラウンから聞いた二年前の『ジョーカー』事件についてゴンにメールを送り、返信を受け取ったキルア。


(ま、こうなるんじゃないかとは思っていたけど・・・)
 キルアの心配を他所に、ゴンはいつだって自ら危険に飛び込んでいく。純粋な好奇心が彼の魅力のひとつではあるけれど、一緒に居る身にもなって欲しいとキルアは嘆息する。
(しかも、言い出したら聞かねえもんな、アイツ)
 純粋でまっすぐで素直で、でも一度決めたらてこでも動かぬ頑固さと意志の強さを持つゴン。キルア自身も惹かれて止まず、またゴンと関わってきた多くの人間が彼に惹かれていく理由が其処にある。


(でもそれが・・・危ういんだよ)
 強固なものは、時として、脆い。壊れにくい分、一度折れてしまえば修復が困難だ。大きすぎる力に翻弄された際に、耐えられるのは固いものではなく、柔軟なもの――――例えば、大海原の水流に堪え得る船のスクリューの材質として適しているのは鉄鋼ではなく、ゴムなのだという話をキルアは本で読んだことがある。
 だからこそ、キルアはゴンの頑なさを時々不安に感じてしまう。その意志の強さがあったからこそ、実現できたことの方が多いことはキルアも重々承知しているが、それが折れる瞬間が来ないことをキルアはただただ願うばかりだ。


(こんなコト思ってたって、どうせアイツには届かねーし・・・)
 ンッと伸びをして、キルアはベンチから立ち上がる。
 再び会議室に篭ってしまったブラウン宛に、ホテルに戻るから何かあったら連絡してくれ、と携帯の番号を受付の女性に伝言し、キルアは警察署を後にした。


 もし万一、ゴンの心が折れてしまう瞬間が訪れたとしても、せめてその時、隣に居るのは自分でありますように、とキルアは心の奥底でそっと祈っていた。






 

 そして深夜。唐突に鳴り響くキルアの電話。
 瞬時に覚醒して電話を取ると、逼迫したブラウンの声が届いた。
「キルア君、大変だ! すぐに署に来てくれ! 『ジョーカー』が・・・現れたんだ!」
 その言葉に、やっぱり、とキルアは思う。やはり、死んだ男はスケープゴートだった、と。
 しかし、電話口からは意外な言葉が続けられる。


「しかも、複数人の『ジョーカー』が・・・ピエロの面を被った男が、リンドン中に現れた! 確認できているだけで12人! 非常事態で、課を問わずほとんどの警官が対応に向かっている」
 どれが本物か当ててごらん、ということなのか。ふざけやがって、とキルアは苛々を噛み締める。
「わかった! すぐ行くから!」
 キルアは叫んで、電話を切るとすぐに部屋から駆け出した。キルアの足なら、警察署まで5分とかからない。
 疾風迅雷。まさしく疾風の如く、キルアは深夜のリンドンの街を駆け抜けていった。







 昼間とは打って変わって、静まり返ったリンドン市警。
 先ほどのブラウンの電話の内容どおり、警官たちはほとんど出払ってしまっているらしい。そうでなくても真夜中だ。堅気の人間が働いている時間ではない。
 さて、どうしたものかと廊下を歩いていると、「キルア君!」と呼ぶ声が響き、キルアは振り返る。息せき切って駆け寄るブラウンの姿。
「良かった、随分早かったね・・・それにしても、街は大混乱だ。まあ、12人もの『ジョーカー』が一度に現れれば当然ではあるが・・・」
 キルアも一目散にとりあえず警察を目指したので、街の様子を確認する余裕は無かったが、それでもサイレンや怒号が響き、大事件が起こっていることは疑いようの無い様子だった。


「一体、本物の『ジョーカー』は何処に居るんだろ?」
 キルアが疑問の声を上げるが、ブラウンは呼吸を整えながら首を横に振る。
「上も大慌てだ。先日死んだ男を犯人として事件を片付ける気満々だったからな・・・」
 溜息混じりにこぼしてから「そうだ!」とハッとしたように声を上げたブラウン。キルアは、少し驚いて目線を上にあげる。


「大事なことを言うのを忘れていたよ。死んだ男の、身元が判明したんだ」
「マジで!? 一体、どこの誰?」
 と、聞いたところで知っている相手のはずもないのだが、礼儀的に尋ねるキルア。しかし、答えは意外なものだった。


「それが・・・二年前の『ジョーカー』事件の犠牲者の父親だったんだ」
「・・・え?」
 突然に繋がる、二年前と現在の事件。犠牲者の父親が、今回の事件の犯人? そんな馬鹿な、とキルアは驚愕する。


 そもそも、男の常人離れした動きはなんだったのか? 突然、バネのように飛び跳ねた姿は、念能力者か特殊能力を持つものの動きではなかったのか。
「あと・・・遺体から、こんなものが検出されたんだが・・・」
 言いながら、マジックで文字の書かれたビニール袋を差し出すブラウン。
 袋の中の物を目にして、キルアは心臓が止まるのではないかと思うほどに衝撃を受ける。




 それは、嫌というほどに見覚えのある、一本の針。




(イルミ・・・!!)
 ザワっと全身が総毛立つような感覚を覚えるキルア。
 確かに、イルミが噛んでいるとすれば辻褄が合う。『ジョーカー』に殺された遺体の切り口が鮮やか過ぎることも、先日死んだ男が突然、常人離れした動きを見せたことも、12人もの『ジョーカー』が一斉に現れたことも。
 12人。二年前の事件で死んだ子供の数は14人。父親の数も同じだけ居るなら、既に死んだ男と、ブラウンを除いた数と合う。


 二年前の事件は、どうやら今回の事件と繋がっている。『ジョーカー』として操られている犠牲者の父親たち。イルミの針を刺されれば、それは即ち死と同義だ。ならばブラウンも、イルミに狙われるのではとキルアは思い至って、警戒を強める。


 するとその時、カツン、カツン、と廊下に足音が響き、キルアはハッとする。微かに感じる殺気。しかし、間違いなくイルミではない。イルミはプロだ。足音も、殺気も、気配も無く標的を仕留めることができる。


 やがて姿を現したのは、ピエロの面を被った小柄な人影・・・おそらく、女。右手に初期と見られるベンズナイフを持っている。赤いサテンのワンピースに黒いファーコートとハイヒールという派手な出で立ちは水商売の世界に生きる女ではないかと伺わせる。
 女は、二人の姿を見止めると、立ち止まってナイフを腹の前に両手で握り締めた。その手は、小刻みに震えている。その姿を見て、キルアは女が完全に素人であることを認識する。
 女の手にしたナイフの切っ先は――――ブラウンに向けられている。突然のピエロの面をした女の登場と、向けられた殺意にブラウンは困惑し驚きを隠せない。
 女が、ヒールの音を響かせてブラウンに駆け寄る。震える手で、確りとナイフを握り締めながら。


 瞬間、閃光が走る。それはキルアの動きであったが、少なくともブラウンと女の目には光の如く見えた。
 女の手の中からナイフが飛び、面が割れる。ナイフが床に落ちる高い音がシンとした廊下にキーーンと響いた。
 面が外れた女は、まだ少女の面影を残した様相をしていた。そばかすの残る鼻、灰色の瞳、美人と言えなくも無いが、やつれて青ざめた表情は生気を失っている。女はまるで糸が切れたようにその場に膝をついて、震えながら唇を噛み締めていた。




「・・・ジェシカ?」




 静寂を切り裂いたのは、ブラウンの震える声だった。
 恐る恐る尋ねたブラウンは、女に近づきそっと肩に触れようとする。
 すると、女は突然顔を上げて乱暴に刑事の腕を払う。


「触るな! あたしは、お前を殺すんだ! お前のせいで、お前のせいで・・・あたしは、あたしの人生はめちゃくちゃだ!!」


 女は泣き叫び、暴れ出す。そのか細い身体のどこにそんな力があるのか、というほどの勢いでブラウンを突き飛ばして、床を這いずりながら転がったナイフに手を取ろうとする。
 女が手を伸ばしたナイフは、しかし刀身を丸い靴に踏まれて押さえられていた。女が目を上げると、冷たい眼で見下ろすキルアと視線がぶつかる。


「・・・アンタ、誰?」
 女に尋ねながらも、キルアは一度ブラウンに視線を送った。刑事は『ジェシカ』と呼んだ。知り合いなのか、とキルアは目線でブラウンに問う。
 ブラウンは、これ以上ないほどの驚愕と衝撃を浮かべた表情で、呟いた。


「わ、わたしの・・・娘だ・・・。二年前、『ジョーカー』に殺されたはずの・・・」
「・・・!?」
 その言葉に、キルアもまた衝撃を受ける。死んだはずの少女が生きていた?


 女は叫ぶ。
「『ジョーカー』はあたしたちを救ってくれたんだ!! 地獄のような毎日を生きるしかなかったあたしたちを、『ジョーカー』は救い出してくれた! お前たちが・・・お前が、あたしに何をしたのか、わ、忘れたなんて・・・言わせないっっ!!」
 感情的に、ヒステリックに声を裏返して叫ぶ女。涙を流す頬には、大きな、青黒い痣の痕。長期に渡って殴られ続けでもしなければこうはならないだろう、というほどの酷い痕が見てとれた。
 女は半狂乱の様相で、キルアの脚にしがみつく。なんとか、ナイフを我が手に取り戻そうと必死にもがいている。
「殺してやる・・・殺すんだ・・・アイツを・・・」
 うわ言のように呟く女。まるで狂女のようだ。


 そんな女の、ジェシカの様子をキルアは哀れむような眼で見つめる。
 実の父親を『殺してやる』と叫ぶ憎しみはどれほどのものか――――キルアには、痛いほどによく理解る。
 キルアは、目を上げ、哀しい表情と声でブラウンに言った。


「あんた・・・この子を、虐待してたんだな」
 キルアの静かな言葉に、ブラウンは動揺を隠せない。キルアの脚にしがみつき、なんとかナイフを手に取ろうと床を這いずる我が子を見て、ブラウンは懺悔するようにうずくまって叫ぶ。
「ち、違う、そうじゃない・・・! 許してくれ、ジェシカ! 私は、わたしは、ただ、お前を愛していたんだ!」


 その慟哭に反応したのは、キルアの方が早かった。


「ふざけんな!!」


 叫び声と共に、押さえ切れない感情がオーラとなって空気をビリッと震わせる。念能力を持たぬ父娘は、その空気にゾッと恐怖を覚えた。
 キルアは、まるで人をも殺さんとするほどの鋭い目線でブラウンを射抜く。握り締めた拳は、小さく震えていた。


「・・・愛してる? ふざけんなよ・・・愛していれば、何をしたって許されるなんて、そんなのお前のエゴじゃねぇか!!」




『愛してるよ、キル』




 幼き日の、兄の顔が脳裏に浮かぶ。否、今も尚――――キルアは兄の呪縛から逃れられない。愛を嘯いて施される暴力は、それほどまでに強烈なトラウマを残すのだ。


 キルアが握り締めた拳からは血が滴り落ちている。この怒りは、言葉は、声は、果たして目の前のブラウンに向けられたものなのか、自身の兄に向けられたものなのか、キルアには判別がつかない。
 まるで、我が事のように怒り震えるキルアに、ジェシカは狂乱のなりを潜め、子供のようにポカンとキルアを見上げていた。
 キルアはそんなジェシカを見遣って、跪いて目線を合わせる。


「・・・どんなに憎くても、殺しちゃ、ダメだ」
 静かに、静かに、キルアはジェシカに囁く。まるで、自分自身に語り掛けるように。


「自分の肉親だからこそ、憎いのは、よくわかるよ・・・でも、だからこそ、殺しちゃ、ダメなんだ」
 哀れみと悲しみを込めた眼差しでジェシカの目を見つめるキルア。
 ジェシカは、堪え切れなくなったように、再び大粒の涙をポロポロと零し始めた。


「あ、あんたに・・・何がわかるって言うの・・・? アイツが、あたしにしたことは、本当に酷い・・・毎晩、毎晩・・・あたし、怖くて、怖くて・・・」
 途中から言葉にならず、ジェシカは嗚咽を零しながらボロボロと静かに泣き出した。涙を零し続けるジェシカに、キルアは優しく「そうだよな、怖かったよな」と声をかける。


 泣くことも許されなかった、幼き頃の自分に語り掛けるように。


「でも、殺しちゃダメだよ。どんなに憎くても、それだけはダメなんだ」
 強く優しく言うキルアを、ジェシカは涙に濡れた眼で見つめて「どうして?」と嗚咽混じりに問う。
 キルアは、眉を下げ、唇を噛み締める。


「・・・殺してしまったら、きっと、もう二度と、光に触れることができなくなるから」


 大切な笑顔。温かな光。
 憎しみに任せて肉親を――――兄を、イルミを殺してしまえば、きっと自分は、ゴンの隣に居る資格を永遠に失う。
 それだけは、絶対にダメなのだと。ゴンだけは、絶対に失いたくない大切なものなのだと、キルアは心に噛み締める。


 キルアは、溢れそうになる涙を堪えるように、ギュッと唇を噛む。


「いつか・・・いつか必ず、きっとアンタにも光が届くから! アンタを救ってくれる光が、きっと届くから、だから・・・アイツを殺して、もっと深い闇にまで墜ちたら絶対にダメなんだ!」
 キルアの必死な呼び掛けに、ジェシカは呆然としたように、ただ涙を零している。


 二年前のあの日、ジェシカを救い出してくれた『光』は、とても鋭く冷たい光だった。人を殺める為に作られた、ナイフの刀身のような冷たい光。
 それでもジェシカは、地獄のような日々から救い出してもらえたことが嬉しくて、ずっとその光を信じてきたけれど。


「・・・あたしにも、届くのかな?」


 温かな陽の光。闇にしか生きられぬ世界に身を落とした自分でも、手を伸ばしてもいいのだろうかと、ジェシカはキルアの眼を見つめて問う。
 キルアは、震える唇を噛み締めながら、懸命に笑顔を作って、頷く。その拍子に、一粒の涙がキラリと零れ落ちた。


「だいじょうぶ、きっと、会えるよ」


(オレが、ゴンに出会えたように)


 その言葉に、ジェシカはとても嬉しそうに微笑んだ。年相応の、少女らしい笑顔で。
 それを見て、キルアは安心して、ひとつ大きく深呼吸をする。


 フッと息を吐いて、気持を切り替えたところで、キルアはジェシカの鳩尾に拳を入れる。ジェシカの身体はカクンと折れて、気を失った彼女の身体をキルアは抱きかかえた。
「・・・また、暴れられても困るだろうから、とりあえず眠らせた」
 ブラウンの目を見ずに、キルアは静かに告げる。ブラウンは、床にへたり込んだまま呆然とキルアを見つめていた。


「可哀想だけど、一応、拘留室にでも寝かせておくよ・・・それとも、アンタが拘留室に入る?」
 言いながら、ギロリとブラウンを睨みつけるキルア。ブラウンは、ヒィっと情けない声を上げる。
 キルアは、冷ややかな視線を送りながら、地下の拘留室へと向かうべく、ジェシカを抱きかかえながら廊下を奥へと進んで行った。













 キルアが警察署の建物から出ると、見慣れた人影が門の柱に寄りかかって立っていた。
 それはキルアにとって、今、最も会いたくない人物だった。


「やあ、キル、久しぶりだね。元気かい?」
 感情的になって発したキルアのオーラを感じて、警察署を訪れたイルミ。いつもの無表情で、片手を上げてキルアに挨拶をする。
 その白々しさに、プチン、と切れたキルアは、思わず電気に替えたオーラを手に溜めて、光の速さでイルミに襲い掛かる。
 ドゴォッッ!! と大きな衝撃音が響く。イルミは寸でのところでキルアの攻撃をかわし、キルアの手は石造りの門柱を粉々に砕いていた。


「いきなり、何を怒っているんだ、キル? 俺に八つ当たりか?」
 腕を組んで余裕の様子を見せるイルミに、キルアはチッと舌打ちをする。
「八つ当たりじゃねーよ。オレはお前にイラついてんだよ」
 忌々しげに吐き捨てるキルアに、イルミは不思議そうに首を傾げる。
「なんで? 俺、お前に何かしたっけ?」
 その態度に、キルアは再び激昂して叫ぶ。
「ふざけんな! このバカ騒ぎを止めさせろ! 『ジョーカー』はお前なんだろ、兄貴!」
 キルアの言葉に、イルミはポンと右拳で左掌を叩きながら「ああ」と思い当たったように言った。
「なんだ、そんなことか。『ジョーカー』はただの仕事だよ。依頼人はクロロさ」
 あっさりと機密事項を明かすイルミ。キルアは家族だから、というところだろうか。


 イルミの言葉に、キルアは自身の予感が正しかったことを確かめる。
 『ジョーカー』の黒幕はクロロ。そのクロロは今、ゴンと共に居る。


「クロロは・・・何処に居る?」
 聞いたところで答えは無いだろうと思いながらキルアは問い掛けたが、意外にもイルミはあっさりと答えた。


「ビッグ・ベン、4時44分」
 ヒソカからの伝言を口にしたまでだが、キルアはその言葉に、ハッと街のシンボルである時計台――――まさしくビッグ・ベンを見上げた。時刻は既に4時30分をまわっている。


「急いだ方がいいよ。じゃないと、大事なものをクロロに盗られるぞ」
 キルアの心中を代弁するかのようなイルミの言葉。それもまたイラっと感じたが、キルアは言葉を返すことなく、時計台を目指す。
 キルアの焦りや苛立ちなど全く関係ない様子で、イルミは呑気に手を振りながら、弟の姿を見送っていた。




















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