ピスタは議会制を敷いている国で、王家に政治的実権は無い。
 国の象徴として様々な式典や講演会などに出席することが王族の主な公務となる。
 ただし、長年続いてきた王朝である為、国民の支持は絶大だ。
 爆発のあった同日夕刻、国王の弟であるアブドゥーラが搬送された病院で亡くなったと報じられた。
 国民は嘆き悲しみ、外出を控え喪に服した。


 同時に、アブドゥーラの屋敷を襲ったのは、先日カナン遺跡を狙ったナン過激派のテロ一派と同一であるとも報道された。
 それが真実と異なることを知っているのはゴンを含むごく一部の人間のみで、国民の大多数はその報道を当然に信じ込んだ。
 ピスタは既に軍を国境付近まで進め、ナンへの報復の矢を射んとギリギリまで弓を引いているような状況だった。
 コップの水が最大水位を超え、表面張力だけで溢れるのを免れている状態で、もし仮に国王までも命を落とすようなことがあれば、一気に決壊してしまうだろう。


 そんな緊張状態の中、ゴンは首都アンテの中心地にある王宮の庭の木の枝の中で気配を消して佇んでいた。
 日は既に落ち、夜の帳を下ろそうとしている頃だった。


 王宮と言っても宮殿のような代物ではなく、王族の住居と見られる建物は近代的な立派な屋敷といった形だった。
 ただ庭がもの凄く広く、門から住宅の玄関までは歩いて十五分ほどかかるのではないだろうか。当然、王族の人間は車で出入りするのだろう。
 庭というより森と言った方が適切かもしれない敷地の中で、ゴンは息を潜めて感覚を研ぎ澄ませていた。


 『絶』を用いて王宮の敷地内に忍び込むことはそれほど難しいことでは無かった。
 しかし、内部の警備の数が尋常ではなく、流石に白昼堂々動き回るのはためらわれる状況だった為、夜を待ち闇に紛れて国王の様子を探ろうとゴンは機会を伺っていた。


 明け方の爆発以降、あのどす黒いオーラの気配は感じられなかった。
 あれだけのオーラを扱うには相当消耗するのかもしれないし、ひょっとしたらキルアの身体の方が保たないのかもしれない。
 だとすれば、尚更キルアを早く取り戻さなければいけない。


 ゴンは眼下の庭の様子を観察しながら、先ほどのヒソカとの戦いの中でキルアが見せた揺らぎを思い出していた。
 あの時、キルアの身体を覆う黒いオーラは消えていた。キルア自身が元々持つ肉体操作の能力を使っていた所為かもしれない。
 そのタイミングで名を呼んだゴンの声に、キルアは確かに反応したのだ。


 きっとキルアも、身体の中で必死に戦っている。
 キルアと目があった瞬間、ゴンはそう確信した。
 だから自分も諦めない、精一杯の想いでキルアの名を呼び続けようと、ゴンは心に誓っていた。


 庭に配備されているのは警察官だろう。
 規則正しく周囲を警戒しながら、時折無線で「異常ありません」とやり取りをしている。
 だが、どんなに警戒していても、事実子供が一人忍び込んでいるのだから、悪霊に乗っ取られているとはいえキルアが侵入するのも不可能ではないだろう。


 ゴンが忍び込んでから既に十時間近く経過している。
 その間、警察官たちはずっと同じ動作を繰り返している。食事も休憩も摂らず、だ。
 見上げたプロ根性だと思っていたゴンだが、流石にこれは様子がおかしいのではと思い始めてきた。
 思い切って木から下り、近くで警官を観察する。


 異常は明らかだった。
 警官たちの目に、生気が感じられない。よくよく目を凝らせば、後頭部に何か光るものが見える。
(あれは……イルミの、針?)
 気づいて、ゴンは戦慄した。
 ゴンが敷地内に侵入した時点で、既に針は仕込まれていたのかもしれない。
 一応『絶』を使いながら警官に近寄ってみても、攻撃を仕掛けてくる気配は無い。
 これでは侵入者を防ぐどころか、どうぞお入りくださいと歓迎しているようなものだ。


 ゴンは邸宅へと走った。
 あの邪悪なオーラはまだ感じられていない、だからキルアはまだ来ていないはずだと自分に言い聞かせる。


 屋敷の中はもっと悲惨な状況だった。
 天井が吹き抜けになっているエントランスホールで、警官や使用人らしき人たちはすべて昏倒していた。
 こんな状況下で国王は果たして無事なのだろうか。ゴンは建物の奥へ走る。


「王様! 王様、無事ですか!?」
 呼びかけながら屋内を駆け回る。
 すると程なくして「何者だ!?」という男性の声が聞こえてきた。
 ゴンは声のした方へ慌てて向かう。


 両開きの大きなドアを開けると、六十畳ほどもありそうな大広間の奥のソファに初老の男性が腰掛けていた。
 男は民族衣装のような深緑色のローブを身に纏っている。事前に電脳ネットで確認しておいた国王の写真と同じ人物だ。
 ゴンはハンター証を示しながら早口で説明する。


「突然ごめんなさい! でも、時間が無いんです。オレはゴン、プロのハンターです。貴方の命を狙っている者が居るんです。だから貴方を守りに来ました」
 ゴンが一生懸命そう説明するが、当然ながら国王は怪訝な顔をする。
「……守るも何も、外には大勢警察官も居るし、屋敷内も警備の者を普段の倍にしている。警察や大臣たちから厳重に警戒するよう忠告も受けているし、事実彼らがこの警備体制を敷いたのだ。素性の知れない君のような若いハンターに守ってもらう必要などない」
 はっきりと断言する国王。
 表情や口ぶりは操られているような様子も無いので、その点だけゴンは安心できた。


「でも、既に外の警官や護衛の人たちは倒されてしまっているんです! 危険です!」
 危険性を訴えようとゴンは必死に説得するが、それは逆効果だった。
「……本当に警備が破られているとして、それを君がやったのではない証拠は? 君自身が、私の命を狙う賊なのではないかね?」
 言いながら、国王はローブの袖の裾から小さな拳銃を取り出し、ゴンに対して銃口を向けた。
 ゴンは驚き目を見開きながら、苦々しく「証拠は……ありません」と正直に告げた。
「ならば、此処から去りなさい。でなければ、撃つ」
 ぴったりと銃口を向けられ、けれどもゴンは王から視線を逸らさずに「去りません。貴方の命を守らなきゃいけないんです」と告げた。


 王はゴンにピタリと銃口の照準を合わせている。
 勿論、銃弾ひとつで怪我をするほどゴンは柔ではないが、それとは関係なく、ただこの場は譲れないというように王をまっすぐに見つめ続けていた。
 そんなゴンの瞳を見て、王は非常に忌々しげに顔をしかめる。


 すると突然、天井から吊るされている豪奢な電燈がガシャン! と派手な音を立てて床に落下した。室内が薄暗くなる。
 何事かとドアの方を振り返ると、そこにはキルアが居た。


「キルア!」
 思わずゴンは叫ぶ。
 気配を感じなかった。もしかしたらキルア本人に戻っているのかもしれないと淡い期待を抱いたが、瞳の色は紅いまま薄暗い室内で輝いている。
 怨霊が、今まで使うことの無かった『絶』を用いたのだろうか。


 部屋の中が一瞬ピカッと光り、バチンと弾ける音がした。キルアの右手が青白く光っている。
 今まで怨霊が使っていた黒いオーラとは違う、オーラを電気に変えるキルア自身の能力だ。


「キルア……」
 今までとの様子の違いに、ゴンは戸惑い、激しい不安に陥る。
 まさか、怨霊に「キルア」が乗っ取られつつあるのだろうか。もしかしたら、このまま身体ごと能力まで奪われてしまうのかもしれない。
 そんなのは嫌だ、とゴンは力の限り叫ぶ。


「嫌だ! キルアを返せ!」
 ゴンはキルアに飛び掛かるが、電気のオーラにバチィッ! と弾かれ、吹っ飛ばされてしまう。
 電気のショックで痺れ、身体の自由が効かない。
 なんとか頭だけを起こすと、キルアが手を刃物状に変化させ、王に向かっているところだった。


「止めろおぉぉぉぉ!」
 掠れた声で叫んだゴンの願いも虚しく、キルアの手は国王の身体を貫いた。
 キルアが手を抜くと、大量の血がバシャッと音を立てて床にぶちまけられ、王の身体は崩れ落ちる。
 その光景がまるでスローモーションのように見えて、ゴンは成す術も無く、血に染まったキルアの手と、床に倒れゆく王の身体を眺めていることしか出来なかった。


 何も守ることのできなかった悔しさや無念さで、全身の力が抜けていくようだ。
 それでもゴンは、せめてキルアだけでも取り返さなければと、痺れる身体で床を這うようにキルアに近づいた。
 キルアは、王の身体を見下ろしたまま微動だにしない。怨霊の憑依が解けているのかどうかも、ゴンにはよくわからなかった。


 その時、倒れていた王の身体がピクリと動いた。
 王はゆっくりと起き上がり、聞き覚えのある声で話す。


「ダメだよ、キル」
 ゆっくりと立ち上がりながら、国王はこめかみから針をスッと抜いた。みるみる顔の形が変わっていき、それはイルミの姿になる。
 その様子を、ゴンは呆然と眺めていた。


「イルミ……」
 なぜイルミが王に化けていたのか。
 どうやらキルアに刺されたのはイルミ本人の身体で、立ち上がった今もボタボタと血が零れ、赤い水たまりを床に描いている。
 イルミは、無表情のまま自身の胸に手を当てた。


「キル、狙うのは心臓か頭だって教えただろ。ここだよ。次は、ちゃんと狙え」
 自身の心臓の場所を示しながら、兄として、教え諭すようにイルミはキルアに語り掛ける。
 キルアは表情無くイルミを見つめ、立ち尽くしている。
 ゴンは痛む身体をなんとか起こし、キルアとの距離を詰める。
 イルミは、傷の痛みに顔を歪めるようなことも無く、淡々と語り出した。


「考えていたんだ。怨霊は、同じ場所に居たはずのゴンや他の人間でなく、何故キルアを選んで憑りついたのか。答えは簡単だ。潜在意識の中で、兄である俺を殺したいと思っていたんだ。弟神の霊は、キルアの想いに共鳴したのさ」
 イルミの言葉は、ゴンに聞かせているようでも、独り言でもあるように響いた。


「お前、少しずつキルアと混ざっているんだろ。だったら、俺でも良いはずだ。さっさと俺を殺して、気が済んだらキルアを解放しろ」
 そうしてイルミは、キルアを受け入れるように両手を広げる。
 自暴自棄になったのでもなく、本気でキルアに殺されようとしているのだ。


「ダメだ!」
 ゴンは思わず叫んだ。
「ダメだ、そんなの絶対ダメだ! それでキルアが元通りになったとしても、自分の手でお前を、実の兄弟を殺したって後から知ったら、どれだけキルアが傷つくか……!」
「だから、良いんじゃないか」
 表情を変えず、否、ほんの僅かに笑みを浮かべ、イルミはゴンの言葉をぴしゃりとはね返した。


「俺を殺した罪の意識をキルアは永遠に抱え続け、俺はキルアの中で永遠に生き続ける。キルアが死ぬその時まで、俺たちは永遠にひとつだ」
 イルミが何を言っているのか、ゴンにはちっとも理解できなかった。
 だが、相変わらずキルアのことなど何も考えず、自分の都合で「これが愛だ」と嘯いて、酷いことを押し付けようとしていることはわかった。
 そんなのは家族とは言わないし、兄弟とも言えない。
 どうしてこの男にはそれがわからないのだろう。ゴンは無性に悲しくなった。


 キルアは再び、右手をナイフのように鋭く尖らせた。
 その右手を、振り上げる。


「そうだ、それでいい」
 満足したように、イルミは頷く。
 ゴンは駆け出していた。
「ダメだ、キルア、止めろっ!!」
 飛びつくようにキルアに駆け寄り、刃物の形になったままのキルアの右手を、ゴンは両手で握り締めた。
 ゴンの掌から血が溢れ出す。
 それでも構わず、ゴンは叫んでいた。


「キルアお願いだよ、元に戻ってよ! これからもずっと一緒に冒険しようって約束したじゃん! オレ、キルアが居ないと何もできないんだよ! お願いだよキルア、戻ってきてよ!」


 叫びながら、気付けばゴンは泣いていた。
 大粒の涙を零しながら、懸命にキルアの名を呼び続ける。
 その声に、その涙の光に、キルアの紅い瞳が再び揺らいだ気がした。


 次の瞬間――――
 部屋の中を、まるで真昼のような眩い光が包み込んだ。
 咄嗟のことに何が起こったのかわからず、ゴンはキルアの手をしっかりと掴んだまま目を閉じた。












 しばらくして。
 光が消え、恐る恐る目を開くと気を失ったキルアが床に倒れていた。
 掴んだままの右手も普段通りに戻っており、ゴンはキルアの傍らに跪いてキルアの様子を確かめる。


「キルア、キルア!」
 目を覚ます気配は無いが、脈も呼吸もある。
 しかし、憑依が解けたのかどうか、ゴンにはまだわからない。目を覚ますまで、ゴンは何度もキルアの名を呼び続けた。
 その傍らで、イルミがドサッとソファに腰を下ろし、ドアの方を見ながら呆れたように呟いた。


「……正義の味方気取り? すごく似合ってないんだけど」
 そう毒づくイルミの視線の先に居たのは。
「ヒソカ!?」
 顔を上げ、驚いて叫んだゴンにヒソカは「やあ♥」と笑顔を向ける。右腕は、元通りにくっついていた。


 ヒソカは両手で大きな鏡を抱えていた。銀色のフレームの不思議な輝きを持つ鏡で、今は七色の光を淡く放っている。
 あっと気付いて、ゴンがヒソカに問い掛けた。
「ひょっとしてそれって、『マーラの銀鏡』?」
 不思議そうに尋ねるゴンに、ヒソカは笑顔のまま「そうだよ♥」と返した。
「え!? え、なんで!? 旅団に盗まれたんじゃ……」
 混乱した様子のゴンに対し、ヒソカは更に笑顔を深めて言った。


「ゴン、知らないのかい? お宝は、盗むためにあるらしいじゃないか♦」
 誰かの言葉をそのまま引用した口ぶりに、ゴンはポカンとしてしまう。
 つまりヒソカは、幻影旅団から『マーラの銀鏡』を盗み返してきたということだ。
 ゴンが唖然としてヒソカを眺めていると、床に倒れているキルアが「ん……」と短く声を上げたのが聞こえた。


「キルア!」
 ゴンはもう一度名前を呼び、心配そうにキルアの様子を覗き込む。
 やがてキルアは、うっすらと目を開けた。


 そこに在ったのは、いつも通りの、広い空のような澄んだ青色だった。












 僕は兄さんに愛されたかったんだ。
 どうして兄さんは僕を愛してくれなかったんだろう。
 真っ暗な闇の中で、キルアは嘆き哀しむ声に包まれていた。
 ある頃から自分を見つめる兄の眼に憎しみが宿るようになり、それがとても哀しかったのだと、声はずっと泣いていた。
 幼い頃は兄弟仲が良くて、兄はいつも面倒を見てくれていたのに、と。


 その声を聞いて、キルアも幼い頃のことを思い出していた。
 物心ついた時から人を殺す技術を教え込まれ、そこに善悪の意識は無かった。
 ただ、与えられた課題を上手にこなせば、兄が褒めてくれる。
 単純に、それが嬉しかった。


 暗闇の中で、悲哀の声が大きくなる。
 何千、何万という声が絶え間なくキルアを襲った。


 何故私が死ななければならなかったのか。
 愛する妻と子供の元へ帰りたい。
 死にたくなんかない。


 そこには、キルアが殺した人間たちの声も含まれていた。


 呪い、哀しみ、憎しみ。


 気の狂いそうな轟音と漆黒の闇の中で、キルアの手は血で真っ赤に染まっていた。
 血に濡れた赤い掌から、闇に同化してしまうかのようだった。
 拭っても拭っても、決して消えない罪の色。


 しかし、その手を、掴んでくれたのは――――














 キルアが目を開けると、そこには眩しいキラキラがあった。
 光の粒と、確かな温もり。


「良かった、キルア、キルア!」
 ぽろぽろと零れ落ちてくるキラキラは、涙の粒だ。
 見るとゴンが、笑いながら泣いている。


 まったく、笑いたいのか泣きたいのか、どっちなんだよお前は。


 苦笑を浮かべようとして、キルアは自身の右手をしっかりと握り締めているゴンの手の温もりに気づいた。


 ……ああ、そうか。お前だったんだな。


 キルアは安らいだように微笑を浮かべ。
 血に濡れたままの手で、ゴンの手を握り返した。


 この温もりだけは、決して離さぬように、しっかりと。




















 アブドゥーラ邸の襲撃が起こった直後、ピスタ国王は家族と共に速やかに国外へ亡命を図っていた。
 その事実を知る者は首相などほんの一部に過ぎず、現場を警護する警官たちはそれを知らされぬまま王宮の警備にあたっていた。


 それを良いことにイルミは警官たちを針で操ったが、肝心の王は既に王宮におらず、イルミ自身で王の替え玉を演じたのは彼にとってもひとつの賭けだった。
 キルアに告げた言葉はすべてイルミの本心だったが、自分が死ぬことでキルアが元通りになる確証は正直イルミにはなかった。
 それでも賭けに出たのは、イルミにとってキルアに殺されるなら本望、という気持がどこかにあったからかもしれない。


 ピスタ国王は亡命先のカキンで会見を開き、自身の無事を報せ、無為の争いは決して行わぬようにと訴えた。
 それが逆に、ピスタ国民の愛国心に火をつけた。
 世論は着実に右傾化し、ピスタ・ナン両国の過激派同士は国境付近で武力衝突を繰り返すようになる。


 紛争の引き金となったアブドゥーラ氏の襲撃について、キルアは覚えているかもしれないし覚えていないかもしれない。
 けれどこれは、テロによる襲撃だった。
 それが真実で良いと、ゴンはその「事実」を苦い気持と共に飲み込むことにした。


 「正しいこと」が必ずしも人を救う訳ではないのだと、ゴンはひとつ学ぶことになった。




















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