1 このコ


 日曜日の夕方は休みが終わってしまう残念さで憂鬱さが募るけれど、月曜の朝は意外と気持がシャキッとしている。
 例えば今日はジャンプの発売日だとか、月9ドラマの続きを早く見たいとか、くだらなくて些細だけれど、僕らにとっては割と重要な楽しみが待ち受けているからだ。
 それに今は。


「おはよー、渚!」
 駅前で出くわした杉野が大きな声で挨拶をしてくれる。
 学生だけでなく、サラリーマンやOLも行き交う通勤・通学の時間に大声で名前を呼ばれるのは少しだけ気恥ずかしかったけど、まるで人懐っこいワンコのように嬉しそうな笑顔で駆け寄ってくる杉野の姿を見ると、僕もつられて笑みが零れてしまう。ニッコリ笑って「おはよう」と、僕も杉野に挨拶を返した。


 僕たちの所属する三年E組は、椚ヶ丘中学では『エンドのE組』と呼ばれて侮蔑の対象になっている。
 だけど僕はE組になってからの方が、月曜の朝を嫌だと思うことは少なくなった。


 友達とのつながりや結びつき、ちょっとクサい言葉を使えば『絆』なんて言えるのかもしれないけど、そんなものを今までのクラスよりもずっとずっと強く感じられて、毎日がとても楽しい。
 『目標』があるというのは、日々の生活にメリハリや活力を与えてくれるものなんだなと、僕は今のクラスになって初めて強く実感することができた。


「渚、コンビニ寄って行こうぜ」
 杉野の言葉に、僕もうん、と頷く。
 今週のジャンプの巻頭カラーはなんだったっけ、なんてぼんやり考えながら。









 舗装もされていない長い坂を上り切って、僕らの愛すべき学舎に辿り着く。
 この校舎に通うのは僕たちE組の生徒しか居ない。だから前後を歩くのは皆、僕らの仲間ということだ。それはそれで、気楽な通学路だ。


 靴を履き替え、歩くたびにギシギシ軋む廊下を通り、立て付けの悪い扉をガラリと開けて教室に入る。
 いつもと同じ行程を辿るだけ。
 しかし、教室の中、教壇の上に居るそれは、いつもとは違かった。


「にゃお〜ん」
 教卓の真ん中に行儀良く座り込んでいる小さな三毛猫。
 よく見知っているが、この教室ではおおよそ見慣れぬ生物に、僕も杉野も目を丸くした。


「えっ、その猫どうしたの!?」
 既に来ていたクラスメートたちに声を掛ける。誰かが教室に入ってくる度に事情を説明しているのだろう、教卓を囲むように立っている生徒の中で、磯貝くんが困ったように振り向いて首を傾げた。


「さぁ、俺が登校した時から居たから、別に誰かが連れて来た訳でもないみたいだけど……」
 迷い猫かな。
 言いながら磯貝くんはふむ、と口をへの字に曲げる。


「首輪もしているから誰かの飼い猫なんだろうけど、なんでこんな所に居るんだろう」
 同じく困ったように腕組みをして呟くのは片岡さんだ。学級委員の二人は、こんなちょっとしたハプニングにも責任を持って、解決策を導き出そうとしているようだ。
 しかし、他の生徒たちは彼らの戸惑いなどどこ吹く風で、教卓を占拠している小さな生物を愛でては「かわいい!」と囃し立てている。


 片岡さんの言うように、その猫は赤い首輪をつけていた。見るからに小さく、たぶん子猫なのだろう。様子を伺おうと、僕と杉野も教卓に近づいてみる。
 するとその時。
 周囲に何の興味も無さそうにしていたその猫が、バッと顔を上げた。僕の目と猫の真ん丸い瞳が、バチッと合う。


「にゃーーーー!」
 僕らは当然、猫の言葉なんて理解できないけど、その鳴声が『喜び』とか『嬉しさ』を表していたのは誰が聞いても明らかで。
 それまで大人しく教卓に座っていた子猫は、突然勢い良く飛び出して、人ごみをかき分け僕に向かって飛びついてきた。


「わっ、わああぁぁっ!?」
「渚!?」
 子猫の強襲に驚いて、思わず僕は声を上げて腕で顔を覆う。皆も驚いて僕を振り返ったが、子猫は特有の素早さとしなやかさでシュタタタと僕の腕や肩を駆け上る。
 そして――――    


 ちょこーん。
 気付けば、猫は僕の頭の上にちゃっかりと座していて、皆の視線は僕の頭上に釘付けになっていた。
 僕はどんな顔をしたらいいのかわからず、頭のてっぺんのふかふかじんわりした温かさを感じながら呆然と俯くことしかできない。


「キャーーー、かわいいーー!」
「なんか、めちゃくちゃ満足そうな顔してるぞコイツ!」
「渚の頭の上がそんなに気に入ったのか」
「すごい勢いで飛び出して行ったよな!」


 皆が妙に嬉しそうにはしゃぎ出すが、僕は戸惑いと恥ずかしさでそれどころではない。
 猫に下りて欲しくて頭上に手を伸ばしても、肉球でペシッと叩かれてしまう。
 そのやり取りがまた他の皆のツボに入ったようで、何をしてもかわいいかわいいと言われるばかりだ。


 僕にとってのみ、甚だ困窮を極める事態に、更に追い討ちを掛ける人物が登校してきてしまった。
 ふわあぁと欠伸をしながら教室に入ってきた彼は、僕の姿を見るや否や、まるで水を得た魚のように嬉々とした顔を見せる。


「おはよう渚くん、何、なにそれ、どうしたの? 新しい髪形? 似合ってるね、かわいいじゃん」
 矢継ぎ早に揶揄の言葉を投げ掛けてくるカルマ君。ニヤニヤ笑みとキラキラ輝く目。月曜の朝から楽しそうで何よりだけど、僕はちっとも楽しくない。


「違うよ! なんでかわからないけど、この猫が僕の頭に上って下りてくれないんだ、なんとかしてよカルマ君!」
 キイッっと必死に訴えるが、カルマ君は「へぇ〜」と物珍しそうに返事をしただけで、隣の杉野に「この猫、どうしたの?」なんて、なんでもないように尋ねている。「迷い猫らしいよ」と平気で答える杉野も杉野だ。
 皆、面白がっているだけで、この猫を何とかしようとは本気で思っていない。


 すると、その時。


「にゃ〜ご、にゃあご」
 教室の隅から、わざとらしい猫の鳴き真似が聞こえてきた。
 反射的に皆がそちらの方向に目を向けると、間接の曖昧な巨大な猫……ではなく、猫耳としっぽを着けた殺せんせーが教室の隅で丸くなっていた。


「……何やってるんですか、殺せんせー」
 クラスを代表してげんなりと磯貝くんが尋ねれば、殺せんせーはキイッと半泣きで叫ぶ。
「だって! 皆、月曜の朝から猫に夢中で、先生の人気を奪われたみたいで悔しくて!」
 キィキィ喚くせんせーを見て、皆が至極残念そうな表情を浮かべた。


「だからって、猫のコスプレしたところで本物に敵うわけ無いじゃん。そもそも、別に先生がクラスの人気者って訳でもないし」
 中村さんがわざと突き放した言い方をすると、せんせーはあからさまにガーーンとショックを受けて、そのまま教室の隅で膝を抱えてシクシクと泣き出してしまった。


「でも、本当にどうしようね? 飼い主さんも心配しているだろうし、どうにかしてお家に送り届けてあげたいけど……」
 殺せんせーの大人気ない自己主張はスルーで、片岡さんがサクサク話を進める。
 生物のことなら、と助言を求めるように片岡さんがチラリと倉橋さんに目を向けると、倉橋さんは無邪気な笑顔を浮かべて「ハーイ!」と手を挙げた。
「私、チラシ作るよ! このコの特徴描いて、交番とか協力してくれるお店とかに貼らせてもらおうよ!」
 両手を胸の前で握り締めてウキウキと提案する倉橋さん。それに対して片岡さんは「うん、それいいね! じゃあ、お願いするね」と頼もしく返事をする。


「それで、肝心のネコちゃんだけど……」
 心配そうに倉橋さんが僕の頭上を見上げて、そっと手を伸ばす。が、猫は嫌がるようにプイッと横を向いてしまう。タハハ、と困ったように笑うのは倉橋さんだけでなく、その場に居たクラスメート全員が同じような表情を見せた。


「……どうやら、渚にしか懐いていないみたいだし、渚、ネコちゃんの面倒見る係、よろしくね」
「え!? そ、そんな!」
 人差し指を立ててウインクしながら告げる片岡さんに、僕は思わず困惑の声を上げる。
 猫は別に僕に懐いているんじゃなくて、何故か僕の頭の上を気に入っているだけだ。僕に対する猫の反応は、他の皆と五十歩百歩のはずだ。
 そのように抗議したら、カルマ君が良い笑顔で「大丈夫だよ、渚くん」と僕の肩をポンと叩く。


「五十歩と百歩の差は、確実にあるんだよ?」
「だったら、テストに出たら五十歩百歩の意味はそう答えてよね、カルマ君」
 ジト目でカルマ君を睨みつけたところで、当人はどこ吹く風。僕から視線を逸らし、口笛を吹きながらさっさと自分の席に着いてしまう。
 まったくもう、と溜息を吐くと一時限目の予鈴が鳴った。
 同時に、僕の頭上から鈴の音に合わせるような「にゃ〜にゃ〜ん」という鳴声が聞こえてきて、僕を除くクラス全員がプッと吹き出したのだった。









 一時間目の数学の授業が終わると、案の定、僕の席の周囲には人だかりができてしまう。注目されるのが苦手な僕としては、早くこの状況が改善されることを願うばかりだ。
 授業中も猫はお行儀良く僕の頭上で大人しく過ごしていた。いくら子猫とはいえ、流石に頭上に乗せ続けるには難儀な重さだ。
 顔をしかめて溜息を吐く僕を他所に、クラスメートはワイワイと猫の話題で盛り上がっている。


「それにしても、なんで渚の頭をそんなに気に入っているんだろうな?」
 前原くんが微笑ましげに僕の頭上を眺めながら疑問を呈する。そんなの、僕が聞きたい。
 すると、カルマ君が悪戯笑みを浮かべて「アレじゃない?」と言葉を挟む。
「猫ってさぁ、狭いところ好きじゃん。箱の中とか、隙間とか」
 隙間。
 その言葉に、皆の視線が僕の髪型に集まるのを感じた。
「……なるほど、すげぇ納得した」
 顎に指を添え、神妙な顔で頷く前原くん。


 しかし、カルマ君は更に何か思いついたようで「あ」と嬉しそうに声を上げる。
「隙間って言うより、むしろ谷間かな?」
「谷間!?」
「谷間だって!?」
 先に殺意のこもった声を上げたのは茅野で、遠くからクワッと勢い良く振り向いて尋ねたのは岡島くんだった。


「そっかー、このネコちゃんは渚クンの谷間が気に入っちゃったのかー」
 悪ノリするのは中村さん。しかも、間の悪いことに中村さんの言葉に猫が嬉しそうに「にゃー」と鳴くものだから、皆にドッと笑いの渦が巻き起こる。
 そんな中、茅野だけが憎しみのこもった眼で僕の頭上を見上げていた。茅野よ、僕の頭は君の嫌いな巨乳じゃない。


「ところで、このコの名前、どうする?」
 またも、大事な話題を投げ掛けるのは片岡さんだが、それについては前原くんが苦々しく提言する。
「名前も何も、飼い猫なんだろ。勝手に別の名前で呼んだらマズいんじゃないか?」
 それはそれでもっともな意見だったが、女子たちは小さく反発する。
「でもさー、『ネコちゃん』なんて可哀想じゃん」
「そうだよー、前原くんだって『人間くん』なんて呼ばれるの嫌でしょ?」
 口々に飛び交う文句に、前原くんは「イヤ、そういう問題じゃないと思うけど……」とたじろぐが、こういう場合は女子の言うことを大人しく聞くのがきっと正解なのだ。


 結局、女子たちは散々盛り上がった結果、三毛猫だから『ミケ』という一番安直な名前で仮置きすることに決めたようだ。
 だけど、三毛猫だからミケ、というのは、例えば僕の背が小さいから『チビ』と呼ぶような失礼なことにはならないのかなと、僕はなんとなく気掛かりに思う。


「……お前はそれでいいの、ミケ?」
 視線を上に向けて試しに呼んでみると、おでこを肉球でペタンと叩かれた。
「問題ないみたいだな」
 その様子を見た前原くんが苦笑を零す。
 命名『ミケ(仮)』は自身の呼び名になどまるで興味無さそうに、ふにゃあと欠伸を零していた。









 二時限目の社会が終わり、教室から出て行こうとする殺せんせーを原さんと中村さんが呼び止めた。
「先生、昨日クッキー焼いたの、良かったら食べて」
 クッキー、という単語に殺せんせーは目の色を変えて「おおっ」と喜ぶ。
「嬉しいですねぇ、手作りクッキー。市販のお菓子も素晴らしいですが、手作りはまた格別です」


 ムフフと嬉しそうに笑いながら、先生はありがたく二人の手作りクッキーを頂戴する。
 可愛らしくビニール製の袋でラッピングされたそれを即座に開けて、ひとつつまんでひょいっと口にする。


「むむ! これは絶品です! 原さん、腕を上げましたね!」
 つぶらな瞳を丸々と見開いてクッキーを絶賛する殺せんせー。
 傍らで中村さんが苦笑混じりに「アタシも一緒に作ったんだっつーの」と皮肉を言うが、先生は慌てて「わわっ、失礼しました、中村さんが手作りクッキーとはちょっとイメージが合わなくて……」と更に失礼なことを言う。すると中村さんが「なんだとー!」と怒ったフリをして笑いながら拳を振り上げた。
 そのやり取りを見ながら、原さんは穏やかな笑顔で「良かった」と零す。


「昨日、中村さんと一緒に坪口先生のお菓子教室に参加したんだけど、そこで作ってきたクッキーなんだよ」
「坪口先生?」
 殺せんせーはキョトンとその名を口にしたが、すぐにハッと気付く。


「ま、まさかあの、モン・サン・ガトーの坪口パティシエですか!?」
「モン・サン・ガトー!?」
 その話題に食いついたのは茅野で、目を輝かせて殺せんせーたちに駆け寄る。
「すごい! モン・サン・ガトーの坪口さんのお菓子教室なんて! 原さん、すごい!」
 大仰に褒め称える茅野。原さんは照れくさそうに頬を赤らめて「私がすごいんじゃないよ」と謙遜しながら、「ハイ、茅野さんにもクッキーあげる」と袋をひとつ茅野に手渡した。それを受け取った茅野は、目をハートにして喜び震えている。


「ねぇ茅野、坪口さんって?」
 二時限目ともなると、皆、猫への興味もやや薄れてきたようだ。僕はミケを頭に乗せたまま、茅野に歩み寄って聞いてみる。
 すると茅野は「知らないの!?」と、信じられないものを見るように僕を振り返った。


「椚ヶ丘の駅から5分くらいの所に、モン・サン・ガトーってケーキ屋さんあるじゃん、あそこのオーナーパティシエが坪口博明さんだよ」
 茅野は目を輝かせながら力説するが、そもそもケーキ屋になどわざわざ足を運ぶこともない為、僕はそう説明されてもまったくピンと来ない。ましてや、街のケーキ屋の主人の名前など知る由もない。
 首を傾げようとするとミケが慌てて頭にしがみついたので、僕は眉を寄せることで理解できていないことを表現した。


 すると、スマートフォンを手にしたカルマ君が「ああ、この人なら知ってる」と言いながら僕に画像を見せてきた。どうやら、今のやり取りの間に検索してくれていたようだ。画面に表示されている人物を見て、ようやく僕も理解する。
 印象的な短い金髪と黒縁メガネの神経質そうな男性。時々、テレビにも出ている有名人だ。


 坪口博明。一九七三年新潟県生まれ。椚ヶ丘モン・サン・ガトーのオーナーパティシエ。その他に、egg 'n' eggs、巻菓子屋など現在四店舗の洋菓子店やベーカリーショップを経営している。
 経歴欄には見るからに高尚そうな洋菓子大会での優勝や入賞の結果が記されていた。しかし意外なことに、生家は和菓子屋なのだそうだ。和菓子から洋菓子まで熟知した、お菓子のスペシャリストということか。


 なるほど、これでは茅野が僕の無知を責めるのもわかる。坪口パティシエなる人物は、単なる街のケーキ屋の主人などではなく、日本を代表する世界的なレベルの菓子職人なのだ。
「うん、僕もこの人ならテレビで見たことあるけど、まさか椚ヶ丘に店があるなんて全然知らなかった。身近なところにすごい人が居たんだね」
 素直に僕がそう言うと、茅野は更に勢い込んで「そうだよ、すごいんだよ!」と力説する。


「あそこの系列のお店のプリンがね、本っっっ当に最高に美味しいの。私のプリンランキングの中で、神レベルのプリンなの!」
 視線を上に向けてウットリと語る茅野を、カルマ君が「よだれ出てるよ」とからかう。しかし、そんなカルマ君の揶揄も意に介さないくらい、茅野は陶然と幸せに浸っている。思い出すだけで幸せになれるくらい、本当に美味しいプリンなのだろう。
 すると、殺せんせーも嬉々として茅野の話題に乗じる。


「あそこのプリンは、勿論、値は張りますが最高レベルですね。確か、特殊なハチミツを使っているんですよね」
「そうなのー! ふわっと香る独特の匂いがすごく上品で素敵なんだよね!」
 殺せんせーと茅野、二人でキャーキャーと甘い物の話で盛り上がっている。その様相はまるでガールズトークだが、片方は女子ではないどころか人間かどうかすら怪しい。


「坪口先生は、椚ヶ丘を『スイーツの街』として有名にした立役者だから。坪口先生のお店が呼び水になって、他の新しいお店も次々とオープンしているんだよ」
 街の功績者を称えるように、原さんが誇らしげに説明を挟む。『先生』と呼ぶ辺り、どうやら坪口氏を相当尊敬しているようだ。
 原さんの言葉に、殺せんせーも「そうですねぇ」と嬉しそうに同意する。


「この辺りにはレベルの高いお菓子屋さんが多くて本当に困ります。でもね、洋菓子だけでなく、和菓子も実はレベルが高いんですよ。特に、駅前のみやたさん」
 とっておきのお店を披露するように、ムフフと得意げに殺せんせーが告げるが、さっきまで一緒に盛り上がっていたはずの茅野は途端につまらなそうな顔になった。


「ゴメン先生、私、別に和菓子には興味ないや」
 冷たい茅野の言葉に、殺せんせーは「にゅややーーっ!」とたじろぐ。が、茅野は何か思い出したように「あ」と声を上げた。


「でも、『ドラざえもん』が出た次の日は別かなー。無性にドラ焼食べたくなっちゃう」
 茅野がそう言うと原さんも中村さんも「わかるー」と笑顔で同調する。
「あの話題をニュースでやると、必ずドラ焼の画像とか有名店のインタビューとか出るからついつい釣られるよね」
 ニコニコ笑顔で言う原さんに、中村さんも「ウチ、『ドラざえもん』出た翌日は必ず親がドラ焼買って帰ってくるわ」と楽しそうに付け加える。


 皆が話題にしている『ドラざえもん』とは、一時期流行った『伊達直人』のドラ焼バージョンのようなものだ。
 『伊達直人』即ちタイガーマスクを名乗る人物は施設にランドセルを贈っていたが、『ドラざえもん』はドラ焼を貧しい子供たちにプレゼントしてまわっており、三ヶ月ほど前から世間を賑わせている。


 しかし、『伊達直人』との決定的な違いは、『ドラざえもん』はただドラ焼を寄付しているのでは無いということ。
 小さな善行の裏で、セレブ芸能人や有名企業家の自宅から財を盗んでいるのだ。言ってみれば、平成の鼠小僧というところなのか。
 とは言え、盗んだ財産とドラ焼ではまったく釣り合いが取れず、江戸の住民に気前良く小判をばら撒いていた鼠小僧に例えては失礼かもしれない。


 『ドラざえもん』の窃盗の被害者には、セレブ芸能人として有名なデベ夫人や、独自のラーメン店を全国チェーンとして展開させて莫大な富を得た狩野兄弟らがいる。
 被害者のネームバリュー、恵まれない子供たちへの慈善行為、しかもそれがなぜかドラ焼の寄贈で、必ず署名入りの手紙を添えて贈ってくるという、ちぐはぐでトリッキーな存在ゆえ、『ドラざえもん』はマスコミから諸手を挙げて歓迎された。
 事件が起これば、ワイドショーはこぞって『ドラざえもん』のことを報道し、ついでに美味しいドラ焼のお店の紹介もしてしまう。
 恐ろしい殺人事件や政治家の汚職の話題に辟易していたお茶の間にも受けているのだろう、『ドラざえもん』が出た翌日は、なんとなく世間が活気付くのが僕にも感じられる。


 少なくとも、和菓子にまったく興味の無い茅野のような女子中学生にもドラ焼を食べたくさせてしまうくらいだから、『ドラざえもん』が与える影響は大したものだと思う。


 そのまま『ドラざえもん』の話題で盛り上がるのかと思いきや、場をまとめるように殺せんせーがブニョンブニョンと触手を叩き合わせて告げた(本人は、パンパンと手を叩いた感覚なのだろう)。


「さ、次の時間は家庭科ですよ。今日の授業は親子丼の調理実習です。教室移動ですので、そろそろ皆で家庭科室に向かいましょう」
 先生の言葉に、皆一様に「ハーイ!」と元気良く返事をする。調理実習というのは、誰にとっても嬉しいものなのだ。


 家庭科室へ向かう準備をしながら、僕は自分の肩に手を当ててゴリゴリと揉み解すようにしていると、カルマ君が「肩こり?」と聞いてきた。
「うん……子猫とは言え、猫一匹頭に乗っけてるのは重いよ。首が疲れる」
 ハァ、と溜息混じりにげんなり言えば、カルマ君は良い笑顔で「大丈夫だよ」と返してくる。
「将来、渚くんがヘヴィメタルに目覚めて頭を沢山振ることになっても平気なように、今からトレーニングしていると思えば」
「うんゴメン、今のところヘビメタに目覚める予定は無いかな」
 他人事だと思ってカルマ君は好き勝手言うんだから。僕は即答して教室を出た。


 しかし、家庭科室に向かう途中で僕はふと思う。
「……猫を頭に乗せたままじゃ、調理実習なんてできない、かな?」
 衛生的に考えて、動物を連れて家庭科室になど入るものではないだろう。誰にとも無く発した問いに、僕の背後からカルマ君がのほほんと答えた。


「猫ごと三角巾で覆っちゃえば平気じゃん? ってか、ソレ、むしろもう渚くんの一部でしょ? 取り外し不可でしょ?」
 その言葉にムッとして、僕は両手で頭上の猫の身体を掴んで引き剥がそうとしたが、ミケは両手両足でベタンと僕の頭にしがみついて決して離れようとしない。グヌヌと力を入れても、ミケは必死の抵抗を見せる。
 その様子がまた面白いのか、カルマ君は僕を指差し声を上げて笑い出し、他の皆もクスクス笑ったり、キャー可愛い! と騒いだりしている。
 必死に抵抗しているのはどうやら僕の方みたいで、ハァと溜息を吐いてから、僕はミケを取り外すことを諦めて、現状を受け容れることにしたのだった。









 三時間目、家庭科の時間に事件は起こった。
 否、発覚が遅かっただけで、事件はもっと前から起こっていたのだ。


 家庭科室は酷く荒らされており、調理台や鍋などの調理器具は泥まみれで、砂糖や塩は水浸しにされていた。


「こんなの、酷い……! 一体誰が、こんなひどいこと……!」
 クラスの皆が青ざめてショックな表情を見せる。特に女子は悔しそうな悲しそうな顔をしている人ばかりだ。


 僕は一瞬、まさか寺坂くんたちが? と思って彼らをそっと伺い見たけど、それはどうやらまったくの的外れで、僕は一瞬でも彼らを疑った自分を恥じた。
 というのも、彼らの仲間の一人、村松くんは意外にも大の料理好きで、調理実習の時間を毎回とても楽しみにしているのだ。
 見ると、村松くんは家庭科室の有様に「ふざけやがって、一体誰だよ!?」と拳を握り締めて怒りを露にしている。
 料理の好きな人間にとって、調理場や道具を汚されることは耐えられない屈辱なのだと思う。


 ショックを受けているのは先生も例外ではなく、青ざめて悔しそうな顔をしていたが、すぐに気を取り直したように頭を振ると、ニコッと笑顔で告げた。


「今は手がかりも少な過ぎて、犯人探しは無意味です。それより、予定通り調理実習を行えるように準備を整えましょう。皆さんは鍋や調理台の掃除をお願いします。先生はマッハで調味料を買って参りますから」
 そう言うと、先生は窓からバビュンと飛び立っていった。


 残された僕らは、遣る瀬無いような微妙な気持で顔を見合わせていたが、何もしないで愚痴ばかり言い合っていても仕方が無い。理不尽で無駄な労働だ、と思いつつ、僕たちは無言でそれぞれ作業に取り掛かった。
 女子が鍋を洗い、男子が調理台や家庭科室の掃除をする。しばらく黙々と作業を進めていたところで、前原くんがポツリと言った。


「なぁ……まさか、渚の猫がやったわけじゃないよな?」
 その言葉に、一斉に僕の頭上に皆の視線が集中する。僕は、不安になってビクッと動きを止めた。


 そもそもミケは僕の飼い猫じゃないから『渚の猫』という表現もおかしいし、疑われているのはミケであって僕じゃない。それでも、疑わしげな皆の視線に晒されて、僕は言いようのない不安と罪悪感に駆られた。


 しかし、それを一蹴したのは。


「バカじゃねーの。ご丁寧に鍋のひとつひとつを汚したり、挙句の果てに調味料水浸しにしたり、猫にできる芸当じゃないじゃん。明らかに、誰かが、人間が、悪意を持ってやらかした嫌がらせに決まってるだろ」
 忌々しげにそう吐き捨てたカルマ君。そう言われて、皆、少しバツ悪そうに「そりゃそうだよな」と頷いてそれぞれの作業に戻る。


 視線の包囲網が解けて、僕はホッと胸を撫で下ろす。良い意味でも悪い意味でも、注目されるのは、苦手だ。
 僕はカルマ君にそっと近づいて、小声で「ありがと、カルマ君」と告げる。しかし、カルマ君は「何が?」とキョトンとして見せる。だから僕は「ううん、なんでもない」と返すことしかできない。
 けれど、カルマ君の眼が、僕とミケを優しく見つめていたことに、僕は気付いていた。









 そうして無事に作り終えた親子丼を皆で頬張る四時間目。
 僕の班の親子丼は少ししょっぱかったけれど、空腹という最高のスパイスがそんなことをまったく気にならなくさせてくれた。
 いつもだったらもっと賑やかな試食時間のはずだが、流石に今日は誰もはしゃぐ気にはなれないみたいだ。
 調理道具にぶつけられた誰かの悪意に対して、皆、胸の中で不愉快さを燻らせているのだ。


「あのね……」
 意を決したように、少し大きめの声で言葉を発したのは原さんだ。料理を作るのも食べるのも大好きなはずの原さんの親子丼は、まだ二口ほどしか手を付けられていない。


「皆、ごめん。ひょっとしたら、さっきの悪戯、私の所為なのかもしれない」
「……心当たりがあるのですか、原さん?」
 穏やかに殺せんせーが尋ねる。
 問い質したり追い詰めたりする口調ではなく、思い切って皆の前で申し出た原さんの勇気に敬意を表するような穏やかさ。こういうところが、殺せんせーの先生たるところだと思う。
 原さんは、コックリと頷いた。


「ああ、ひょっとして昨日の? だとしたら、全然原さんの所為じゃないじゃん」
 原さんに向けて中村さんがサバサバと言い放つが、原さんは思い詰めたように首を横に振る。
「でも、私への嫌がらせの為に皆に迷惑掛けちゃったんなら、申し訳ないよ」
 俯いて話す原さんに、中村さんは尚もきっぱりと「嫌がらせって言うか、八つ当たりじゃん! 原さんは何も悪くないよ!」と言い切る。すると原さんは、困ったように、けれど少し嬉しそうに微笑んで「ありがと」と短く中村さんに告げた。


 そしてポツポツと、原さんは『昨日の出来事』を話し始めた。









 何ヶ月も前から予約をして、原さんが心待ちにしていた憧れの坪口パティシエのお菓子教室。一人で行くのも心細いので、中村さんを誘って二人で参加したのだそうだ。
 その日は中学生を対象としたイベントで、坪口パティシエが開校したお菓子の専門学校でクッキーを作る、という主旨のものだったらしい。


 原さん曰く、坪口氏は確かに神経質で仕事には厳しそうな印象だったが、その場に集まった中学生達を非常に嬉しそうに歓迎してくれたという。
 未来を担う若者たちへの期待と、お菓子作りに興味を持ってくれていることへの感謝や喜びが大きかったのだろう。


 一方、憧れの坪口パティシエに直接教えを請うことができる機会ということで、原さんもまた、期待を胸いっぱいに膨らませていた。


 しかし、そこで予想外の事態が起こる。


 そのお菓子教室には、僕たちと同じ椚ヶ丘中学三年生の女子生徒が三人組で参加していたのだ。
 原さんと中村さんは三人の名前まではわからなかったが、見たことのある顔だった。
 向こうも同じようなものだったのだろう。原さんと中村さんの二人がE組である、ということも理解していた。


 E組は差別の対象。だから、何をしても何を言っても許される。
 校内でのみまかり通るそのルールを、三人組は坪口先生のお菓子教室でもぶち上げて押し通した。
 わざとぶつかったり、原さんたちのボウルや麺棒を落としたり、聞こえよがしに原さんの体型を罵ったり、中村さんを「場違いだ」「男漁りに使うために、お菓子作りに来たとかサイテー」なんて蔑んだり。


 中村さんは真っ向からケンカを買ってやりたかったけど、原さんがそれを止めて屈辱に耐えた。原さんとしては、尊敬する坪口先生の教室を無碍にすることの方が余程嫌だったのだろう。坪口先生のアドバイスのひとつひとつをメモに取り、目の前のクッキー作りに真摯に打ち込んだ。


 そんな風に原さんと中村さんが心を込めて真剣に作ったクッキー種に、三人組の一人がカップいっぱいの牛乳をこぼしてみせた。
 事故を装って、「あっ、ゴメ〜ン」なんてクスクス笑いながら自分たちの「不注意」を口先だけで謝ったりして。


 あまりの仕打ちに、流石に中村さんの堪忍袋の尾が切れかけた瞬間。


「いい加減にしろ!!」
 坪口パティシエの怒号が教室中に響き渡った。和気藹々としていた教室は、シーンと静まり返る。


 怒鳴られたのは勿論、原さんたちに嫌がらせをしていた三人組だ。生徒たちを迎えた時はニコニコと嬉しそうに細められていたパティシエの眼は、見開かれ怒りに爛々と燃えていた。


「君達にお菓子を作る資格は無い。今すぐ帰りなさい」
 怒りに震える声で、三人組にそう告げた坪口パティシエ。「そ、そんな……!」と抗議しかける女子生徒達に、坪口パティシエは慈悲も無く言い切った。


「お菓子は食べる人の心を幸せにする為のものだ。他者を罵り邪魔することにばかり熱心な、醜い心の持ち主が作れるようなものじゃない。早々に立ち去りなさい」
 厳しい口調で言われて、おろおろと顔を見合わせる三人組。謝ってやり過ごすべきか、言われた通り帰るべきか逡巡している様子が、パティシエの怒りの火に更に油を注いだようだった。


「帰れと言っているんだ!! 出て行け!!」
 職人というか芸術家というか、そういった気質を持つ者特有のヒステリックな怒りを見せて、パティシエは大声で叫び出した。
 このままではパレットナイフでも飛んで来かねないほどの怒りぶりに肝を冷やして、三人組は荷物をまとめて慌てて出て行った。


 その後、坪口氏は怒りを鎮める為か一旦中座し、少しして戻ってきた時には最初と同じように穏やかな表情で、原さんたちには特に優しく丁寧に接してくれて沢山の助言を与えてくれたのだという。
 そうして完成したのが、先ほど殺せんせーたちに渡したクッキーというわけだ。









「……それ、原さんは全然悪くないじゃん」
 一連の話を聞いて、呆れたように呟いたのは不破さんで、その言葉に皆うんうんと頷いている。


「ってか、坪口さんの好感度が超上がったわー」
 感心したように言う杉野に、原さんも「お菓子作りに対する意識がすごく高い人だから、自分の教室でああいうことされるのが許せなかったんだろうね」と頷きながら返した。


「でも、今の話を聞くと、確かにその三人組がやった可能性は高いよな。原さんと中村さんへの仕返しっていうか、逆恨み? 八つ当たりか? とにかく、動機がはっきりしているし」
 ふむ、と考え込むように発した磯貝くんの言葉に、原さんは「でも」と苦笑混じりに答える。


「ゴメンね、私も一応心当たりと思って皆に話したけど、証拠なんて何も無いし。昨日の出来事だけでその三人を疑うのは、いけないよね」
 原さん・中村さんへの嫌がらせ説に傾きかけたクラスメート達を宥めるように原さんが穏やかに言う。
 確かに、証拠は無いのだ。


「見つけましょう、証拠を」
 きっぱりと、そう言い放ったのは、我らが殺せんせーだった。皆が、先生に注目する。
「家庭科室が狙われたことが、その三人組が犯人だということを物語っています。お菓子教室での仕打ちは、同じように調理器具へぶつけてやろう、という発想がね」
 もっともらしい推論を語る殺せんせーのつぶらな瞳は、報復へのやる気と熱意に満ち満ちている。自身の生徒たちを馬鹿にされて大人しく泣き寝入るほど、この先生は柔じゃない。


「でも、一体どうやって証拠を見つけるの?」
 僕がおずおずと尋ねると、先生はニヤニヤ企み笑顔で僕を見つめながら言った。


「居るじゃないですか、目撃者が」
「え?」


 間抜けに聞き返す僕に代わって、心得たようにミケが「にゃ〜ん」と僕の頭上で鳴いてみせた。









 その日の昼休み。
 僕らを代表した潜入捜査官が本校舎の廊下を闊歩していた。
 それの姿を見て、本校舎の生徒たちも今朝の僕たちと同じような反応を見せる。


「キャー、かわいい!」
「どっから入ってきたんだ、コイツ?」
 生徒たちの注目を浴びながら、ミケは堂々と廊下の真ん中を歩んで行く。
 そして、標的に近づくと甘えたように「にゃあ」と鳴いてみせた。


「あっ! このコ、昨日の子じゃない?」
「本当だ〜やっぱり可愛いね」
「旧校舎なんかより、こっちの方が居心地良いって逃げてきたんじゃない?」
「そりゃあそうだよね〜、あんな連中の居る場所じゃ居心地悪いに決まってるよねー」
 キャハハ! と下品な笑い声を上げる女子三人組。
 その様子を、僕らは裏庭の茂みの影から確かに見ていた。烏間先生直伝のカモフラージュ技術を施した状態で。


「やっぱりビンゴだったね」
 ヒソヒソ語り掛ける茅野に、僕も固唾を呑んでコクンと頷く。
 昨日は日曜日、E組所属の僕らでさえ登校することは稀なのに、今の会話から察するに彼女たちはわざわざ旧校舎へ赴いたことになる。


「前原くんと律に感謝しなきゃね」
 微笑み掛けながら茅野に返す僕の傍らで、殺せんせーが触手で顔を覆ってシクシク泣いていた。
「先生のお財布の中身の貢献にも感謝してあげてください」
 ヨヨヨとすすり泣く殺せんせーの姿に、僕らは苦笑を浮かべる他なかった。









 少し時間が遡って、先ほどの調理実習四時間目のことだ。
 原さんの話の後で、まずは件の三人組は一体誰なのかを突き止める必要があった。


「何組かもわからない?」
 尋ねる片岡さんに、中村さんが「一人はたしかC組の子だった気がするんだよね」と視線を上に向けながら答えた。
 それを受けて、前原くんが自分のスマホをなにやら操作し始めて、原さんと中村さんにスッと差し出す。


「ハイ、多分C組女子全員の写真あるから。これで見つけられるか?」
 そこに映し出されていたのはスナップ写真のような画像で、数人ずつの女子がグループになって笑顔とピースを向けている様子が数枚に分けて写されていた。


「……どうしたの、これ?」
 岡野さんが冷ややかに尋ねると、前原くんは「俺の秘蔵のコレクションだよ」と得意げに言う。


「何がコレクションよ! ただのストーカーじゃん、気持ち悪ーい!」
 矢田さんや倉橋さんが寒気を抑えるように自分の両腕を抱く仕草を見せるが、前原くんは堂々と答える。
「ちげーよ! 全部本人の許可を得て撮ってるよ!」
 喚く前原くんに、岡野さんが再び冷たく「でも全員分なんてあるの? 自分好みの子しか撮ってないんじゃない?」と尋ねる。
 それに対し、前原くんはフッと笑んで「甘いな、岡野」と言う。


「可愛い子にだけ愛想良く話し掛けたって、中々相手にしてもらえないんだよ。可愛い子もそうでない子も、平等に接する姿勢を見せることで初めて『前原くんは誰に対してでも感じの良い人』って認識してもらえて、好感度が上がるんだよ!」
 クワッと力説する前原くん。その主張を受けて男子諸君は「おおっ」と目を見張るが、女子は冷ややかな視線を送っている。


「前原、サイテー」
「そういうのって、割と女子は気づいてるから」
「多分、裏で言動チェックされて笑われてるよ」
 女子たちからの集中砲火にグッとたじろぐ前原くんを横目に、原さんと中村さんは彼の秘蔵コレクションをチェックしている。三人組は同じクラスだったようで、一枚の画像に全員が写っており「この子達だ!」と指を差す。


「ははぁ、コイツらね。んで、先生。敵がわかったところで、どうやって証拠を見つけるの?」
 前原くんは先生を、次いで僕の頭上に視線を送る。ミケは退屈そうにくあぁと欠伸をした。
「決まっています、ミケさんに聞くのです」
 そう言うと、殺せんせーは再び猫耳を装着して、にゃにゃにゃーシャシャシャー、とミケに話し掛けた。
 が、当然のことながらミケは殺せんせーになど見向きもしない。先生はグスグス泣きべそをかきながらとぼとぼと退散した。


『お任せください』
 その時、僕のお尻のポケットに入っているスマートフォンから声が聞こえた。軽やかな電子音で名乗りを上げたのは自律思考固定砲台、通称『律』だ。


『殺せんせーが、こんなこともあろうかと以前アプリを作成してくださいました。渚さん、『わんわんにゃんにゃんお話しアプリ』を起動させてください』
 律がそう告げた瞬間、クラスの全員が「そんなのあるのかよ!?」と心の中でツッコミを入れたはずだ。
 僕は渋々、ダウンロードされていたアプリを起動させてみる。


『マイクに向かって話してくだされば、猫語に翻訳して音声が出ますので、渚さん話し掛けてみてください』
 ニコニコと律がアプリの使い方を説明する。僕は半信半疑というか、弱冠自棄になって諦め半分で聞いてみた。


「……ミケ、昨日この人たちの姿を此処で見かけた?」
 前原くんのスマートフォンを指差しながら、目線は自分の頭上へ、声はスマホのマイクに向けて発する。すると、アプリは僕の声を認識したようで、ピ、と音を立てた後、スマホから「にゃにゃー」と猫の鳴き声らしき音が流れた。おおっ、と目を見張る僕たち。
 それを受けてなのか、一呼吸置いてから、ミケが「にゃ」と短く鳴いた。返事をしたように聞こえて、当初は大した期待もしていなかった僕たちは、固唾を飲んでミケの返事の内容の翻訳を待つ。
 僕のスマホがピッと音を立てて、画面に文字が表示された。


『ロイヤルシャブラン』
「は?」
 目を点にしてポカンとする僕に、倉橋さんが「高級キャットフードの名前だよ」と教えてくれた。
 僕の戸惑いを他所に、ミケはまた「にゃ」と短く鳴く。再び表示された文字は寸分違わず『ロイヤルシャブラン』だった。


「……おなか、空いてるのかな」
 たじろぎながら僕が呟くと、カルマくんが殺せんせーに、まるでパシリに「焼きそばパン買ってこいよ」と命令するがごとく「先生、買ってきてよ」と告げた。他の皆も、そうだそうだと援護射撃する。
 その声に、グヌヌ、と躊躇する先生だったが他に選択肢があるはずも無い。キーーっと泣きながら、先生は再び窓から飛び立って猫の餌を買いに行った。
 数秒後、すぐに先生は帰ってきたが、半泣きで「この餌、高いです、先生のお昼ごはんより高級です」と嘆き出す。でもそれは、僕らの知ったことじゃない。


 袋を開けて中身を皿に出すと、ようやく猫は僕の頭から飛び下りて餌にがっつき始めた。久しぶりに頭が軽くなって、僕は羽が生えたような心地になる。
 しばらくミケの食事風景を皆で見守っていたが、やがてミケはおなかいっぱいになったのか、満足そうな顔を見せると、前原くんのスマートフォンに向かってトコトコ歩いていき、肉球でペタンと画面を叩いた。おや、と思い、前原くんが画面を他の女子生徒たちの写真に変えてミケに示しても何も反応しない。再び例の三人組の画像に戻すと、ペタンと彼女たちの顔を叩いてみせた。


「これは……決まりかな?」
 前原くんがニヤリと笑みを浮かべる。
 どこから来たのか、いつから居るのかもわからない子猫の証言(?)など、当てにならないと言えばならないのだが、裏を取れれば疑惑は確信に変わるはずだ。


 そうして僕たちは、『わんわんにゃんにゃんお話しアプリ』を駆使して、ミケに潜入捜査に協力してもらえるよう頼み込んだのだった。
 見返りは、殺せんせーの出資による豊富な餌、ということにして。









 翌日、火曜日。
 報復の準備は万端だった。後は女子たちが首尾良くコトを運ぶだけだ。
 実行部隊の女子たちが本校舎に潜入している昼休み。残された僕たちはいつも通りの休み時間を過ごしながらも、ドキドキして彼女たちの帰りを待つ。
 少しして、楽しそうに笑い合う甲高い声が外から聞こえてきた。女子たちが帰ってきたのだろう。皆、窓から顔を出して彼女たちを迎える。


「皆、どうだった!?」
 校舎に向かってくる途中の女子たちに磯貝くんが大声で尋ねれば、皆が拳を掲げてガッツポーズを見せる。
「大成功! 後で写真見せるね!」
 片岡さんが手を振りながら笑顔で答えた。居残り組の僕たちも顔を見合わせて喜び合う。
 やがて、教室に戻ってきた数名の精鋭部隊に前原くんが労いの言葉を掛ける。


「おつかれー! 怪しまれずに潜入できたか?」
 その言葉を受けて、片岡さんは「それがさ」と少し驚いたような表情で答える。
「なんかね、午前中に理事長の家に空き巣が入ったんだって。それで理事長とA組の浅野くんが早退したらしいんだけど。理事長不在だと、他の先生たちもなんていうか、ちょっと気が抜けるのかな。校内全体の雰囲気もざわついて落ち着きが無くて、だから私たちもあんまり怪しまれず、っていうかほとんど違和感無く本校舎に入ることができたわけ」


 片岡さんの説明に、僕たちはへぇ〜と声を出す。
 理事長宅への空き巣被害については、物騒だな、とか、金持ちは大変だな、とか、それくらいの感想しかないけれど、そのおかげで片岡さんたちの潜入が楽になったのならラッキーだったのかも、と僕は少し不謹慎なことを思った。


「それで、首尾はいかほど?」
 ニヤリと笑んで磯貝くんが尋ねると、片岡さんが「任せてよ!」と言いながら速水さんを促す。速水さんは無言で頷いてからカメラを差し出した。
 それは岡島くんから借りた最新型の一眼レフデジカメで、モニターに映し出されたのは、それはそれは醜くうろたえ慌てる例の女子三人組の姿だった。彼女たちの顔や髪の毛や身体中全体に、茶色い昆虫のようなものが沢山へばりついている。


「うわー……自分たちでやっておいてなんだけど、こうして見ると哀れだな」
 しみじみ呟く前原くんに、遠巻きに眺めていた殺せんせーがヌルフフと声を上げた。
「彼女たちはそれだけのことをしたのです。神聖なる家庭科室、調理道具を泥まみれにするなど言語道断、許してはいけません」
 ね、原さん。と殺せんせーは原さんを見遣る。
 面が割れている為、僕たちと一緒に居残り組になっていた原さんが、速水さんの撮ってきた写真を見て感慨深い表情で頷く。


「うん……私ひとりに対してされた嫌がらせだったら、仕返ししたいなんて思わなかったけど、この人たちはお菓子教室に一緒に来てくれた中村さんにも酷いことを言ったし、挙句の果てに皆で使う家庭科室までめちゃめちゃにして、それはすごく悔しかった」
 だから、と原さんは続ける。


「皆で仕返しができて良かった、ありがとう」
 少し照れたように、優しい笑顔でそう言った原さんに対して、教室内から自然と拍手が湧き起こった。









 具体的な報復作戦の内容は、といえば。
「台所を汚す者には神罰が下ります」
 昨日の昼休みが終わった後、殺せんせーがそう言い放った。


「日本には八百万の神様がおわしますが、生活に関わる神様の中で一番偉いのはかまどの神様です。台所を汚した者には、そんなかまどの神様の使者から天罰を下してもらいましょう」
 そう言って、先生はある昆虫の写真を図鑑で見せてくれた。茶色くて胴体に縞模様があって足が長い。
「コオロギ?」
 僕が尋ねると、先生は「俗称で便所コオロギとも呼ばれますが、コオロギと違う点は、この虫は鳴かないということです」と教えてくれた。


「カマドウマという昆虫です。日本では竈馬と表記することもあり、竈の文字が使われていることからかまどの神様の眷属、乗り物として考えられることもあります」
 そう説明してから、殺せんせーはケープの中から紙粘土を取り出して菅谷くんに投げて渡した。
「菅谷くん、これを造れますか?」
 尋ねる先生に、菅谷くんはピンと来た様子で「もちろん」と余裕の笑みで答える。
 そして、菅谷くんは五分ほどで体長三センチメートルくらいの、足の長い物体を造って見せた。


「では皆で、菅谷くんに教わりながらこれを沢山造りましょうか。そうですね、罰当たり者一人につき百匹くらいプレゼントできるように」
 ニヤニヤ笑みで告げる殺せんせー。僕らもようやく話が見えてきた。菅谷くんの周囲に輪になって、皆で紙粘土を捏ねて形を作り、色を塗っていく。
 午後の授業がうっかり美術になってしまったけど、先生はそんなことはあまり気にしていないみたいだ。


 作業の合間に竹林くんがメガネをカチャリと上げながら「第九使途、マトリエル……」とボソッと呟いた謎の言葉に、なぜか杉野が「似てる! わかる!」と反応していたけど、僕には何のことだかよくわからなかった。


 二時間かけて、大量の虫の模型が完成した。ずらりと教室に敷き詰められた茶色い小さな物体は、鳥肌モノの気持ち悪さだ。
 ヌルフフフと笑いながら、先生は言った。


「例の三人組がトイレに入った瞬間に、これを個室の天井からザバーっと降らせてあげましょう。かまどを汚した罰だ、という神様の台詞と共にね」
 トイレの個室に入った瞬間に、大量のカマドウマが降ってくるシチュエーションを想像したら、僕は身の毛のよだつ思いがした。作り物だとわかっていても、形状がそもそも気持ち悪い。一匹でもあまりお目にかかりたくないのに、それが百匹も天井から降ってくるとなれば……僕は、それ以上はあまり考えないようにした。
 そんな残酷な報復作戦を、E組女子は非情にも遂行してみせたのだった。









 なんとなく祝賀ムードの教室内で、片岡さんが少し険しい顔でカルマ君に近づいて告げた。
「ねぇカルマ、さっき本校舎で水泳部の時の友達に言われたんだけどさ」
 真剣な面差しの片岡さんを、カルマ君はあまり気の無い様子でぼんやりと見返す。


「最近、ウチの制服着ている生徒に絡んできて『赤羽業ってヤツを知っているか?』って聞いて回ってるガラの悪い連中が居るんだって。高校生かも、って。その子が直接そういう目に遭った訳じゃなくて、実際に聞かれたのは後輩らしいんだけど、結構頻繁に絡まれる子が出てきてるみたいで、皆怖がってるって話」
 片岡さんは心配そうな眼差しをカルマ君に向ける。僕も、カルマ君の傍らでそれを聞いて、心配になって隣を見上げた。
 が、カルマ君は片眉を吊り上げて「へぇ」と嘲笑を浮かべる。


「なにそれ、面白いじゃん。返り討ちにしてやるから、早く俺本人に辿り着いてくれれば良いのにね」
 不敵な発言をするカルマ君に、僕は思わず「カルマ君!」と声を荒げてしまう。まるで警戒心の無いカルマ君の態度に、片岡さんもムッとむくれた表情を見せる。
 するとカルマ君は、「ハハッ」と悪戯っ子のように笑って僕に微笑みかけた。


「大丈夫だよ渚くん、そういうの慣れてるし、それにホラ、俺強いから」
 カラカラ笑うカルマ君。僕だってカルマ君が強いことはよく知っているけど、相手が高校生では分が悪いのは間違いない。修学旅行の時だって、不意打ちとは言え卑怯な一撃を喰らって気絶してしまったくらいなのだから。
 ハァ、と片岡さんは溜息を吐いてカルマ君を指差した。


「とにかく、忠告はしたからね。十分気をつけてよ!」
 ピリピリ言い放つ片岡さんに、カルマ君はヘラヘラ笑って「りょーかーい」とやる気無く手を挙げる。
 少し不穏な空気を漂わせつつ、和やかな昼休みは終わりを告げた。









 水曜日。
 ダラダラと長い坂を上って、いつも通り登校してみると、校舎の前に数人の人だかりができていた。僕は比較的、朝来るのは早い方なので、そこに居た数人が既に登校しているメンバー全員なのだろう。


「おはよう、どうしたの?」
 僕が尋ねると、岡野さんや磯貝くんが「おはよう」と挨拶を返しつつ「ホラ、これ」と玄関前に置かれている物体を指し示す。


 それは、大きな段ボール箱だった。


 ミケが興味津々というように箱をガリガリと爪で削っているが、僕の存在に気付くと嬉しそうに「にゃっ」と一鳴きしてから、再び僕の頭上へと駆け上がっていつも通りのポジションに落ち着いた。
 ちなみに、ミケについては僕が家に連れて帰ることもできないので、餌を潤沢に置いておいて学校に残ってもらうことになっていた。


「どうしたの、この箱?」
 ミケの行動に朝から辟易しながら僕が尋ねると、皆は一様に微妙な表情を見せる。
「俺が朝、一番に来たんだけど、その時から置いてあった」
 磯貝くんが答えるが、誰も中を確認していないなら、その箱の正体は不明だということだ。
 ミケに続いて謎の段ボール箱。今週は朝から予期せぬことがよく起こる。


「とりあえず……開けてみちゃう?」
 岡野さんがチラリと磯貝くんを伺いながら提案する。
 すると、磯貝くんは箱に耳を当てながら唸った。
「うーん、別に爆弾が入ってるとか、そういう危険なことはないと思うけど、一応殺せんせーが来てから開けてみようか」
 磯貝くんの意見に、僕らは素直に従った。
 そんな僕らの話をどこかで聞いていたかのように、その後すぐに先生はマッハでバビュンと出勤してきた。


「おや皆さん、おはようございます。どうしたんですか? 教室にも入らずに……」
 先生の挨拶と疑問に、磯貝くんが先ほどと同じように答える。
「そうですか。まぁ特に危険も無さそうですし、開けてみましょうか」
 そう言って、先生は触手を使って器用にガムテープを剥がして、あっさりと箱を開けた。
 その中には、ある意味、爆弾なんかよりももっともっと驚きの代物が詰まっていた。
 それは――――


「ドラ焼っ!?」
 僕が素っ頓狂な声を上げる。他の皆も、箱の中身をポカンと眺めていた。
 段ボール箱には、ビニールで個包装されたドラ焼がめいっぱい詰められていたのだ。
 その、一番上には白い封筒。
 殺せんせーがそれをそっと取り上げて、中を確認してみる。
 封筒の中身の白い便箋には一言、こう書かれていた。




『みんなが笑顔で幸せでいられますように
               ドラざえもん より』