授業合間の休憩時間。
 問題児クラスはロイヤルワンの教室で、雑談に興じていた。

「入間くーん」
 ひらひら手を振りながら入間に声を掛けたのはアンドロ・M・ジャズ。授業の板書をノートに写し終えた入間は顔を上げ、「ジャズくん」と名を呼びながら笑顔を見せる。
 ジャズは入間の笑顔にすっかり癒されながら、隣に腰を下ろした。

「入間くん、たまには俺らと昼一緒に行かない?」
 ジャズの提案で、周囲にザワッと緊張が走る。『アイツ、言いやがった』という気配が立ち込めるが、そんな空気に入間はまったく気づかない。

 問題児クラスのメンバーは、全員入間のことが大好きだ。だからもっと話がしたい、仲良くなりたいと誰もが思っている。

 しかし、鉄壁のセキュリティ『入間軍』の存在が、問題児クラスたちのちょっとした、しかし根源的な欲を常に阻んでいる。

 一口に『入間軍』と言っても、クララはまだ良い方で、クラス全体のマスコット的存在のため、誰にでも愛想良く懐っこく慕ってくる。入間に害意を持たないクラスメイトに対しては、基本的に何をするにもウェルカムな姿勢だ。

 問題なのは、もう一方だ。

 最近は幾分マシになったにせよ、アスモデウスの入間以外への塩対応は相変わらずだ。気安く入間に話し掛ければ、凄みのある双眸で睨みつけられ、不機嫌を隠さない。整い過ぎた顔立ちだけに、睨まれた時の迫力たるや相当なものだ。

 しかし、とジャズは思う。女子生徒は当然に例外かもしれないが、サブロやアガレスらに対しては、アスモデウスはさほど険のある態度を示さない。リードは比較的よく被害に遭っているが、自分には段違いに態度が悪い気がする、とジャズはアスモデウスの対人感情を考察する。

(なんで俺、こんなにアスモデウスに嫌われてんのかな〜……)
 はて、と普段から疑問に思うジャズだったが、それはそれ、といちいち気にしない性質だ。
 入間に話し掛けたくば鬼の居ぬ間に、である。

 カルエゴから「バラム教諭がお前を呼んでいる」と言付けられて、アスモデウスが教室から出て行った隙の、ジャズから入間へのランチの誘いである。
 誘われた当の入間は、一瞬キョトンとした後、すぐに満面の笑みで「うん、行こうよ!」と快諾する。そして、入間は無邪気に続ける。

「アズくんとクララも一緒で良い?」
 その一言に、出たよ、とジャズは苦笑顔。だが、その返しは想定内のため「勿論♪」とジャズは答える。すると、クララ、と名が出たことで呼ばれたと思った珍獣娘が、遠くでサブロの頭上から「なになに、いるまち!?」と入間に問い掛けた。

「ジャズくんが、今日はみんなで一緒にお昼食べない? って」
 いつの間にか、話が『みんなで』になっている。だが、その方が好都合だ。アスモデウスも否を唱えにくくなるだろう。入間の拡大解釈に、ニッコリ微笑むジャズと、ラッキーとおこぼれに喜ぶ周囲を取り巻いていたリードたち。クララは笑顔で手を挙げながら「私、でろでろランチ!」といつものメニューを主張した。つまり、承諾だ。

「アズくんが戻ってきたら、僕から言っておくね。久しぶりにみんなでごはん、楽しみだなぁ〜」
 花を飛ばしてウキウキ嬉しそうに笑顔を見せる入間。上手くいったと、ジャズも満面の笑みだ。

 この場にアスモデウスが居たなら、こうはいかない。入間に話し掛けようとしても、話の主導権をアスモデウスが奪い、あからさまに不機嫌になり、気を遣った入間が「また今度誘ってね」と気まずそうに返すのがオチだ。主人に気を遣わせるなど、一体どんな従僕だとジャズはいつも呆れてしまう。いや、従僕でなく、おトモダチ、か。

 とにかく、話がまとまって良かったと安堵するジャズの横で、入間が何やら自分の席の下段の棚をごそごそとやり出した。何をしているのかと興味深くジャズが見守っていると、やがて入間は嬉しそうにお菓子を取り出した。ジャズは思わず苦笑する。

「入間くん……ごはんの前にお菓子はダメってクラりんにも言われたでしょ」
 言いつけを守れない可愛い弟を嗜めるがごとく、ジャズは人差し指でツンと入間のこめかみをつつく。入間はエヘヘ、と照れ笑いをしながら「ごはんの話してたらおなか空いちゃって……」と呟く。そして、注意を無視してパッケージを開けようとした入間が「あれ?」と疑問の声を上げる。

「いちご味になってる……?」
 普通のチョコ味持ってきたはずなのにー、とスティック型のプレッツェルにチョコがコーティングされた菓子の箱を手にして、不思議そうに首を傾げる入間。
 はてなを飛ばす入間の傍らで、ジャズがククッと楽しそうに肩を震わせた。

「お探しのものはコレ?」
 得意げに笑って、ジャズはオーソドックスなチョコ菓子の箱を入間に差し出す。入間は、手元のいちご味の箱と、ジャズの手にある箱を見比べて「!?!?」と混乱している様子。

「さっきちょっと入れ替えただけだよ。そっちの、いちごのもあげる」
 言いながら、ジャズはチョコ味の箱を入間に返す。「あ、ありがとう……」と礼を言いつつ、「っていうか、いつの間に!? どうやって!?」と不思議そうに興奮して入間はジャズに問い質す。

 入間をツンとつついた隙に入れ替えたのだが、敢えて種明かしはせず、ジャズは片目を瞑りながら人差し指を唇にあてた。

 ちなみに言えば、いちご味の菓子はそもそもガープの懐から失敬したものだ。時折、気まぐれにガープから菓子を盗むジャズだが、盗られるガープもガープで、いちいちどの菓子をいくつ持っているか把握していない為、ジャズに定期的に盗られていることに全く気付いていない。しかし、そもそもクラスメイトに配る用に持ち歩いている菓子である為、配給元がガープかジャズか異なることになるだけで、結局行先は同じだ。ジャズもそれを熟知している為、遠慮なくこうして入間に分け与えているのだ。

 一方、手先の器用さと家系能力のなせる業を眼前で見せつけられ、入間はジャズを尊敬と憧れの眼差しで陶然と見つめていた。入間からキラキラした純粋な視線を注がれて、ジャズは浮かれずにはいられない。

 調子に乗ったジャズは、『盗視』で入間を覗き見る。入間が身に着けている物を気づかれぬよう盗って後で返し、入間の更なる驚き顔を見てみたいと思った故である。ハンカチ、ス魔ホなど、ありふれた日用品に混ざって、入間の制服の右のポケットに小さな石のようなものが入っているのが見てとれた。

 果たしてこんな小石、盗ったところで入間は気付くのだろうか、ガープと同じく盗られたことにすら気付かず、先程のような「どうやったの!?」と目を白黒させて驚く可愛い顔は見られないのでは……と逡巡するジャズだが、盗みは盗み。驚く顔を見るためではなく、そのスリルを味わうためと思い直し、ジャズは蛇のごとき指を入間の制服に忍ばせ、小さな塊を掠め盗った。



 瞬間――――
 パシッと入間がジャズの手を掴んだ。

「それはダメ」


 先程までの、花が飛ぶフワフワとした入間の雰囲気は露と消え。
 群青の瞳は真剣な色を湛え、真っ直ぐにジャズを捉えていた。


「……っ!?」
 驚いたのは、ジャズの方だ。
 高位階のカルエゴにさえ通じた己の能力。盗みに関しては、ジャズは絶対の自信を持っていた。通用しない相手など、忌々しい兄や家族以外には存在しないとさえ思っていた。

 それを、まさか、入間が。
 ふわふわとした優しく温かい、あの入間が、己の能力を破るなど――――

 ショックと驚きを隠せないジャズだったが、ダメ、と言われて尚も奪う訳にもいかない。「あ、あぁ……」と曖昧に答えながら、盗った石を入間の手に素直に返した。
 すると、入間はとても嬉しそうにふわっと微笑んだ。余程大切なものだったのだろう。

 盗みは家業。罪悪感など一切抱いたことの無いジャズだったが、その入間の様子にチクリと胸が痛み、「なんか、ゴメンね……」と小さく謝罪の言葉を口にした。
 次の瞬間、背後からガシっと頭を鷲掴みにされる。

「……貴様、入間様に、何をしている?」
 厄介なのが、戻ってきてしまったようだ。ジャズは恐ろしいまでの圧を背後から感じた。

「あ、アズくんおかえり〜」
 いつも通りのフワフワ笑顔で、アスモデウスを迎える入間。「戻りました、入間様」と笑顔を見せたその一瞬のみ圧が消えたが、再びゴゴゴゴと怒りのオーラをジャズに向けるアスモデウス。ジャズの頭蓋骨を握り潰さんばかりに、頭を掴む右手に力を込めている。

 ジャズは白目を剥きながら「何もしていません、お願いです離してくださいアスモデウスくん」と懇願する。しかし、アスモデウスは手を緩める気配は無い。

 その後、「ジャズくんはお菓子くれただけだよ〜!」と異変に気付いた入間が慌てて止めに入るまで、アスモデウスによる渾身のアイアンクローは続いたのだった。










 放課後。
 魔具研究師団室にて鋭意課題に取り組む入間の背後から、アスモデウスはギュッと入間の身体を抱き締めていた。クララは「ンジャラカの駒を補充してくる〜」と遊戯師団に出掛けていて、現在は不在である。

「……アズくん、もうすぐクララが戻って来ちゃうよ?」
 何やらやたらと甘えてくるアスモデウスの好きにさせていた入間だったが、流石にいつドアが開くかと不安な頃合いになってきたので、おずおずと声を掛ける。
 だが、アスモデウスは離れる気は無いようで「アホクララが戻ってきたら離れます」とくぐもった声で答えた。「戻って来てからじゃ遅いよ」と入間は苦笑する。

「どうしたの、アズくん? 今日は甘えんぼさんだね?」
 別に良いんだけど、と後置きして入間は課題を進める。アスモデウスは入間の首筋に顔を埋め、文字通り甘えるように頬や髪を入間に摺り寄せていたが、やがてポツリと「あの男は、嫌です」と小さく呟いた。

「……? あの男って、誰?」
 手を止めて首を傾げる入間。本当に思い当たる節が無いようで「??」と不思議がっている入間に、アスモデウスは「アンドロ・M・ジャズです」と短く答える。

 意外な答えに入間は心底びっくりして、「ええぇっ!? なんで!? クラスメイトじゃん!」と驚きの声を上げる。

 入間の、その警戒心の無さも嫌なのだ、とは流石に言えないアスモデウスは、しばらく逡巡した後「あの男の家系能力は、盗みです」と呟く。周知の事実に、入間は「う、うん……」と、戸惑い気味に頷く。

 しばらく沈黙していたアスモデウスは、入間を抱き締める腕に更に力を込め直して、「私の、大切なものが盗られるのではないかと、不安に思ってしまうことが……嫌なのです」と入間に告げた。

「アズくんの……大切なもの?」
 アスモデウスの言葉に、ペンを唇の下にあて視線を上に向けて、果たしてそれは何だろうかと考える入間。

 するとアスモデウスは腕を放し、入間の身体を自分に向き合わせ「貴方以外に、私の大切なものがありましょうか!」と顔を近づけて力説した。突然、綺麗な顔が眼前に寄せられた上に予想外の言葉を浴びせられ、入間は顔を真っ赤にして「あわわ……さ、左様でゴサイマスカ……」としどろもどろに答えた。

 一方、自らが発した言葉の意味するところに気付き、アスモデウスも顔を真っ赤にして慌てて弁解の論を述べる。

「いえっ、あの、その、私は入間様のものですが、入間様が私のものなどと、そんな恐れ多く出過ぎたことを申しまして、その、そういうつもりで申し上げたのではなく、あの……ですが、私の最も大切な存在は入間様を置いて他になく……」

 入間を自分の所有物のごとく発言してしまったことをたどたどしく詫びたアスモデウスだったが、入間は困ったように笑って「いいよ」と答えた。

「僕は、アズくんのものが良い。嬉しいし」
 心の底から幸せそうに呟く入間。
 思いがけない入間の許しに、アスモデウスの心臓はドクンと大きく跳ねる。

「だからさ……」
 入間は、ゆるく握った拳をアスモデウスの胸にトンとぶつけて続けた。

「だったら、誰にも盗られないように、ずっと離さずにいてね」
 有無を言わさぬ眼差しで、何という殺し文句を吐くのか。
 アスモデウスはあまりの幸せに甘い目眩を感じながら、胸にあてられた入間の拳に唇を落とし、「仰せのままに」と傅いた。













 他方。
 自身の所属する魔術開発師団の部屋へ向かう途中に、ジャズは楽しそうに廊下をスキップしているクララの姿を見かけた。

「おーい、クラりーん」
 手を振って呼び掛ければ、クララは笑顔で足を止め「おー、じゃじーくん!」と両手をブンブン振ってくる。
「珍しいね、一人で。師団活動は?」
 近づいて問い掛けるジャズに、クララは「うーんと」と言葉を整理するように呟いてから説明した。

「んっとね、フワフワくんにまじめくんとしとやかちゃんをあげに行ってた!」
 謎単語の羅列に、ジャズは一瞬フリーズする。だが、『フワフワくん』がリードを指していることは理解できるため、恐らく遊戯師団に何か用があったのだろうと推察する。
「そっかー、クラりんは偉いなー」
 そう言って、ジャズが笑顔でクララの頭を撫でてやると、クララは「えへへ、偉いっしょ?」と得意げに自慢する。ジャズにとっては、クララもまた可愛い可愛い妹分だ。

「ところでさ、クラりん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
 ジャズは、昼前の出来事を思い出しながらクララに話し掛けた。「なぁに?」と首を傾げるクララに、ジャズは思い切って尋ねる。

「入間くんがポケットに入れてる、小さい石? なんか白い鉱石みたいなヤツ……あれって、何か入間くんの大事なものだった?」
 ジャズが入間からその石を盗ってしまった場面までは、クララは見ていなかったはずだ。それ故、なんでそんなことを聞くのかと、クララは疑問に思うかもしれないが、ジャズはあの件以降、それがどうしても気になっていた。

 ジャズの能力を破るほどに、入間の感覚を研ぎ澄まさせたのは、一体何だったのか。

 クララはジャズの質問の意図を特段気にする様子もなく、「いし? 石……入間ちの石……」と考え込むように視線を上に泳がせていたが、すぐに「あっ!」と思い当たる節があったような声を上げた。

「ギュっぱゲームで、アズアズが入間ちにあげた石じゃん!?」
 その答えに、ジャズは内心「あちゃー」という心理に陥る。
 当然、ジャズの心境など知る由もなく、クララは続ける。

「なんかねー、魔除け? 厄除け? になる石だとか水晶だとか言ってた気がするー。アズアズ、私には飴くれたんだ〜」
 クララの解説に、ジャズはなんとか笑顔を貼り付けて「そっか〜、良かったね〜クラりん」と言葉を掛ける。「うん!」と笑顔で元気よく返事をして、クララは「じゃー私、入間ちんトコに戻るね」とジャズに手を振ってから背を向けた。
 ジャズはその元気な姿を、心此処に在らずで見送る。

 一人になり、ジャズはクララの言葉を反芻する。

『アズアズが入間ちにあげた石じゃん』

 だからか、とジャズは納得した。
 アスモデウスからもらった物だから、入間は大事に身に着けていて、ジャズの能力で盗られても即座に反応できたのだ。ある種、入間の危機回避能力に近い第六感のようなものが働いたのかもしれない。

(……付け入るスキ、無いじゃん)
 アスモデウスが常にあの調子だから、彼の一方通行なのかと思っていたら、まさか入間もそれほどにアスモデウスを想っているとは。
 入間は、完全にアスモデウスのものなのだと、ジャズは思い知る。
 一人自嘲するジャズだったが、否、と即座に思い直した。


 アンドロ家の異名は『蛇使いの盗賊』。
 他人のものなら、盗めば良い。


 普段、ジャズはスリルと興奮を味わうために盗みを働く。盗んだ物品は、金に換えるか当人に返すか。正直、自分が欲しいものを盗んだ経験は無い。
 だから、これはジャズにとって初めての衝動だった。ただ、自分が欲しいものを得るために、盗みを実行しようと思うのは。

 標的はアスモデウス。獲物は――――入間。

 さて、どうやって盗もうかと、謀略を巡らせるだけで興奮が湧き起こる。入間の、人の好い優しい笑顔を自分のものにするのだと思うと、愉悦で身体が震えそうだ。

 ああ、でも、ひょっとして、とジャズは思う。

 先程の光景。『これはダメ』とジャズの手を掴み、能力を破った入間の真っ直ぐな眼差しが、ジャズの脳裏から離れない。

 あの衝撃、あの興奮は――――

(……ひょっとして、盗まれたのは、俺の方かな?)

 ああそう言えば、アスモデウスも入間に決闘を申し込み、破れて心を奪われたのだ。
 所詮、同じ穴の狢か、と白蛇の化身に同情と共感をジャズは抱いた。