地表に宝石を散りばめたような、ヨークシンの贅沢な夜景を一望できる高級ホテル、セントレジス。
 その宝物のような眺望を独り占めすることができる最上階スイートに切なく響くのは、少年のすすり泣く声と衣擦れの音と、微かな甘い吐息。


 ゴンの閉じた瞳から零れ落ちる光の粒は、ベッドの上に横たわるクロロの胸を疎らに濡らしていく。
 露になったクロロの胸に両の掌をついて、ゴンはポロポロと涙を零しながら微かに喘ぎ、ぎこちなく腰を上下させる。
 そんなゴンの様子と切ない表情をクロロは眩しそうに見つめ、自身に跨るゴンの脇腹から腰のラインに掛けてそっと右手を添えた。
 陶器のようなその手の感触に、ゴンは閉じていた瞳を薄く開く。


「クロロ・・・」
 名を呼んで、切ない表情でゴンが見つめる、クロロの黒い瞳。
 どこまでも吸い込まれてしまいそうなほどの、深い深い、闇の色。
 その瞳の深遠を覗き込む度に、ゴンの心に後ろ暗い炎が灯る。


 どうして、何故と、何度も自身に問い掛けた。
 こんなコト、許される筈がないと、何度も自分を責めたけれど。


 その深く昏い闇色の瞳から、ゴンはどうしても逃げることができない。


 クロロはゴンの腰から尻に右手を添え、左手で太腿を掴んでゆっくり奥へと突き上げた。
 フゥンとゴンの鼻から甘い吐息が漏れて、反射的に背を仰け反らせる。
 その身体を逃さぬよう、クロロは腰と脚を確りと抱いて、再びゆっくりとゴンの奥を探る。


「ふぁあっ・・・クロロっ・・・」
 堪らず声を上げて、ゴンはクロロの胸に掌をつき、眉根を寄せて涙を零す。
 パタパタと滴り落ちる光の雫に、クロロは再び眩しそうに目を細める。
 突き上げる振動と身体の奥を抉る熱に、ゴンは目を閉じ歯を食い縛るが、吐息と喘ぎ声は堪えきれずに隙間を縫って、涙と共に零れ落ちていく。


 絶え間なく与えられる、熱と快楽。
 目を開き、覗き込む、闇色の瞳。


「クロロ・・・怖いよ・・・」
 喘ぐように囁いたゴンの言葉に、クロロはフッと一瞬息を吐いて冷笑を浮かべる。


「別に、優しくされたい訳でも、ないだろ」
 突き放す口調と裏腹に、クロロは右手を差し伸べて涙に濡れたゴンの頬を優しく包む。
 クロロの掌の感触に、ゴンはうっとりとした表情で目を閉じる。


「違うよ・・・」
 そうじゃなくて、とゴンは心の内で繰り返し、再び目を開ける。


 真っ黒い瞳と、視線が絡み合って、逃れられない。


「怖いんだ・・・」




(その瞳に惹かれていく、自分の心が)




 どうしてクロロとこんなコトをしているのか、ゴン自身にも理由が解らない。
 何度も自問した。何度も自分を制止し、正論を言い聞かせ、責めて詰った。


 それでも、この男に惹かれていく気持を止められない。




 クロロは身を起こし、大切そうにゴンの小さな身体を抱き締めた。
 ゴンもまた、クロロの首に腕をまわして確りと抱き締める。
 繋いだ下肢だけでは足りないと言わんばかりに、互いの身体の隙間を埋めるように強く抱き締め合い、唇を重ねる。


 何度重ねても変わらないそれは、涙と罪の味。


 クロロと唇を重ねる度、ゴンの脳裏に仲間たちの顔や声が浮かんでは、消えていく。
 心臓が握り潰されそうなほどの、罪の意識を伴いながら。


 ゴンにとって、何より大切だった筈のもの。
 キルア、レオリオ、そしてクラピカ――――大切な仲間の、憎むべき敵と交わる、罪深き行為。
 くちづけを交わす度、身体を繋ぐ度に、大切なものを奪われていく――――否、ゴン自ら大切な者たちを裏切っているのだ。


 こんなコトは許されない、絶対に間違っている、駄目だ、いけない、こんなコトは、絶対に、許されない。


 理解って、いるのに――――


「ふっ・・・くっ・・・」
 嗚咽が零れて、ほんの僅かにゴンはクロロと唇を離す。
 苦しくて、苦しくて、涙が零れ落ちるのを、どうしても止められない。


 背徳心。
 罪悪感。
 裏切り。


 ありとあらゆる罪の意識がゴンの心を締め上げて、息もできないほど苦しいのに。


 それでも、ゴンは自身の心を止められない。


 至近距離、覗き込む、闇色の瞳。




(どうして、こんなにも惹かれてしまうんだろう・・・?)




 この想いの先に在るのは、絶望しかないと理解っているのに。
 絶望の淵で、縋りつくようにクロロの手に指を絡めて、更に深い闇へと堕ちていこうとしている己の理不尽さに、ゴンは理解不能な戸惑いと罪悪感だけを胸に募らせる。




「怖いよ、クロロ・・・」




 一遍の光も、救いも無い絶望に満ちた世界に堕ちていくしかない未来。
 それを理解っていながら、止められぬ己の心。
 制御できない自身の心を、ゴンは唯々恐怖する。


 深い、漆黒の瞳だけがゴンの姿を静かに映し出していた。



















 よく笑い、よく怒る少年だったのに、とクロロはゴンの涙に濡れた寝顔を見下ろして、ふと思い出す。
 気づけば、もう泣き顔しか見ていない。


 コトの後、ベッドボードに背を預けてクロロは泣き疲れて眠るゴンの寝顔をジッと見つめていた。


 思ったより、簡単に手に入った。興味を持たせて、少し強引に手を引いてやれば、あっさりと手の中に落ちた。
 いつも通り、他のお宝と同じように、しばらく愛でて飽きたら棄てる。
 そのつもりだったが。


 クロロは、そっと手を伸ばしてゴンの髪に触れる。
 優しく頭を撫でてやると、ほんの僅かにゴンの寝顔が安らいだように見えた。


 その瞬間に、クロロの胸に一点の染みのような不安と疑問がフツリと浮かぶ。


(この感情は、なんだ?)


 度々、湧き起こる疑念。
 それは、ゴンと唇を重ねる度、身体を繋ぐ度、快楽を貪りゴンの内部で達する度にクロロが感じる疑念でもあった。
 その感情の正体について、クロロ自身おそらく答えを知っている。
 しかし、解っていて尚、それを認めることができずにいる。


 認めては、いけない。
 名づけては、いけない。


(コレは、危険だ)


 ゴンの寝顔を見下ろしながら、いっそ今、此処で殺してしまおうかとクロロは思う。
 既に絶滅してしまった希少な蝶や花の標本のように、縊り殺して血と内臓を抜き、愛玩具に変えてしまえば良い。


 きっと、其処に在るのは、永遠。
 永久不変の宝物を手に入れれば、この胸の奥にある空虚な穴も埋められるのではないか――――
 ゴンの喉元に指を這わせて、しかしクロロは想う。


 そんなことをしても、本当に欲しいモノなど、決して手に入らないということを。


 クロロが望むもの、欲しいものを奪い、手に入れる為に創った『幻影旅団』。
 『旅団』はクロロのアイデンティティの一部であり、総てだ。
 クロロは『蜘蛛』の頭。
 しかし、頭を潰しても、『蜘蛛』は死なない。


 生かすべきはクロロ自身ではなく『蜘蛛』。
 『蜘蛛』が存在し続けること、それが即ち、クロロの存在理由だ。


 しかし。


 ゴンの寝顔を眩しそうに見つめるクロロ。
 クロロの胸に不安を突き刺す原因は、この少年にある。
 危険だ、と再びクロロは想う。


 クロロの指は、ゴンの頬を、唇を撫でる。
 その感触に気づいたのか、ふとゴンが眼を開けた。


 しばらく眠たそうに目を細めていたが、やがて透明な眼差しが、まっすぐにクロロを捉える。
 その眼に捉えられ、クロロの胸は再び得体の知れない何かで満たされる。


(この感情は、なんだ?)


 心にジワリと滲む衝動に突き動かされるまま、クロロはゴンの頬を掌で覆い、ゆっくりとくちづけを落とす。
 ゴンは目を閉じて、静かにそれを受け容れた。


 宵闇の中、髪を撫で、角度を変えて何度も何度も永く甘く、ゴンにくちづけを施すクロロ。
 その胸の内を占める感情に、クロロ自身も漠然と不安を感じる。


 ゴンは、それを『怖い』と言った。
 そう表現したゴンの気持を、ほんの少しだけクロロも理解できる気がする。


 くちづけは激しさを増して、ゴンの唇の端からは唾液が零れ、舌を絡めあい、甘く荒い吐息が漏れる。
 柔らかな舌の感触と喘ぐような呼吸が、更に欲しいとクロロの衝動を煽る。


 欲しいものはなんでも奪って手に入れてきた。
 しかし、求められ、与えるという行為を、果たして経験したことがあっただろうかと、クロロは差し伸べられたゴンの小さな手を握り締めて、ふと思う。
 ゴンの手は、クロロを求めるように差し出され、それに応じるようにクロロは指を絡めて、離さぬよう確りと繋ぐ。


 その手の温もりが。
 唇や肌や眼差しが。
 クロロの胸の内に激しく警鐘を鳴らす。
 コレは危険だと、これ以上、味わってはいけないと。


(これ以上、感じさせるな)


 衝動が、クロロの胸の内に巣食う不安を暴き立てる。


 これ以上、感じてはいけない。
 これ以上、求めてはいけない。
 この味は、危険だ。




 生かすべきはクロロではなく『蜘蛛』。
 『蜘蛛』の存続の為であれば、クロロはいつでも死を享受できる。
 それなのに。







 コレは、いつかきっと、クロロに『生』への執着を生み出す。
 『ゴンを愛している』という、この想いが、いつか、必ず――――







 自ら立てた掟に背く感情。
 コレは『蜘蛛』の、ひいてはクロロ自身の存在理由さえも揺るがす危険な行為。


 それなのに、何故。


 今まで奪ってきた他のどんな宝物でも埋められなかった穴が、この手の温もりだけで埋められる気がするのだろうと、クロロはまるで絶望にも似た気持で想う。




 くちづけの合間、ゴンが再び耐え切れなくなったように涙を零す。
 その涙の理由もクロロにはよく理解できる。
 仲間を裏切っている罪の意識が、ゴンの心を締め上げている。


 互いの背後に抱える大切なモノを裏切ることでしか紡げぬ想いは、果たして愛と呼べるのか。
 この夜の先に在るのは、救いの無い、自らの誓いにさえ背く道でしかない。




「明けない夜が、在れば良いのにな」




 ふと、クロロがゴンの耳元で囁いた言葉に、ゴンは少し驚いたように目を開いてから、小さく頷いた。
 その拍子に、ゴンの眦から再び光の粒が零れ落ちる。


 互いに纏わる総ての糸を断ち切って、二人だけで閉じゆく世界が在れば、涙も罪の意識も無くなるだろうに、とクロロは夢想する。


 しかし、永遠の愛も、明けない夜も、そんなものは何処にも存在しない。
 この世界に在るのは、深い深い闇と絶望だけだ。


 ならば、せめて。


 クロロは指を絡めたゴンの手を、再び強く握り締めた。
 どんなに深い闇の中でも、コレだけは決して離さぬように。


 繋いだ小さな掌は、哀しいほどに温かかった。