世の中、金で買えないものなどひとつもないと信じていた。
 夢も心も人の命も、この世は全て金次第。金さえあれば、どんなものでも手に入れられるし、どんな望みでも叶えられる。
 そう、信じていた。














 プルルルル・・・。
 電話は3コールで繋がる。「もしもーし」と気の抜けた声が届き、レオリオは安堵の気持がこみ上げて口元に薄っすらと笑みを浮かべた。


「よお〜、キルア。えぇ〜っと・・・なんだ、その・・・んーー、ま、とりあえず、元気か?」
 伝えたいことも尋ねたいことも山ほどあるのだが、まずはキルアが無事で良かったという気持が先に立ち、口をついて出てくるのは中身の無い言葉だけ。
 しどろもどろなレオリオの口調に、キルアは電話口でプッと噴き出し「なんだよ、それ」と零しながら楽しそうにクスクス笑う。


 ゴンが回復し選挙騒動も終了したは良いが、ゴンを助けた肝心要のキルア当人とまともに話もできていなかった状態だったレオリオは、一段落ついたところでキルアに連絡を取ってみたという状況である。


 ゴンの元に向かっている最中のキルアとは容易に連絡をとれない状態だったが、今のキルアには危険は無いのだろうかと案じて、レオリオはそれとなく現状を尋ねてみる。するとキルアは「今のところは大丈夫。とりあえず、家族ともケリがついたし」と穏やかな口調で告げた。
 それが自分を安心させる為の嘘でないことを、レオリオは願うばかりだ。


「それよかさー、動画見たぜ〜。ゴンの親父ぶん殴ったヤツ。アレは衝撃的だったわー。相変わらずだよな、レオリオ」
 楽しそうに話すキルアに、レオリオはやや頬を赤らめて「うるせーよ」と悪態を吐く。
「あの動画、ゴンはもう見たのかな? 自分の親父が自分の仲間にぶん殴られて、しかも周りから大喜びされてるとか、見たらどう思うんだろ」
 ニヤニヤとイタズラ猫のような笑みを浮かべているキルアの様子が目に見えるようだ。
 レオリオは思わず「バッ・・・お前、絶対ゴンに見せんなよ! 何にも言うなよ、絶対だぞ!」と噛み付くように電話口に怒鳴りつける。
 するとキルアはますます楽しそうに「え?それっていわゆる『いいか、押すなよ、絶対に押すなよ?』ってヤツ?」とレオリオをからかい、レオリオは「キルアっ、てめーこの野郎!!」と目の前に居ない相手に向かって拳を振り上げて大声を上げる。
 アハハハハ、と楽しそうなキルアの笑い声が響き、レオリオは諦めたようにひとつ溜息を吐いて苦笑を浮かべた。


「・・・ゴンにはもう会ったのか?」
 選挙会場でゴンと再会したレオリオだったがそこにはキルアの姿は無く、ゴンの口ぶりからもその時はまだキルアはゴンに会っていない様子だった。戦いの最中に何事かあったようでゴンはキルアに「謝らなきゃ」と言っていたが、二人のその後がレオリオも気になっていた。
 レオリオの問いに対しキルアは軽い口調のまま「ん〜ん、まだ」と短く答えてから勢い込んで語り出した。


「アイツ、散々オレが面倒見てきてやったのに、オレのこと関係ないとか言ったんだぜー? もっともっと心底反省させてからめいっぱい謝らせてやるんだ」
 また、電話の向こうでネコの顔になっているのだろう。楽しいイタズラを思いついたようなキルアの軽い口調にホッと安堵して、レオリオは「そっか・・・」と静かに呟いた。
 キルアがそんな風に言えるのも、全ては無事にゴンが回復したからこそだ。


「キルア・・・俺がこんなこと言う立場でもないのはよくわかってんだが・・・ありがとな」
 噛み締めるように、真摯にレオリオはキルアに告げる。
 しかし、言われたキルアは「ハァ? 何が?」ととぼけた声を上げた。


「イヤ・・・何が、って・・・だから、ゴンを助けてくれたことだよ」
 キルアの反応にややたじろいでレオリオが答えると、キルアは「何言ってんだよー」と呆れて返す。
「別に、誰に頼まれてやった訳でもないし、オレがそうしたかったからだよ。結果的にはアルカを・・・妹を家から出してやることもできたし、それはゴンのことがきっかけでもあったから、逆にオレがゴンに感謝したいくらい・・・なんて甘やかさないで、ちゃんと謝らせなきゃダメだな」
 ハハ、と乾いた笑い声を上げるキルアにレオリオは渋く苦笑して「でもな」と告げる。
「お前がゴンを助けてくれたおかげで、俺だけじゃなく、モラウの旦那やハンゾーや他のたくさんのゴンの仲間たちが本気で、心底喜んだんだ。お前は・・・イヤ、お前らは本当にすげーよ」
 ありがとな、ともう一度レオリオが繰り返すと、「レオリオ」と今までより少しだけ真面目な声色でキルアが名を呼んだ。


「仲間にそういうことは、言いっこナシだと思うんだけど?」
 当たり前のことをしただけだから。言外に、キルアはレオリオに告げる。
 キルアの意図を汲んだレオリオは苦笑を浮かべて「ああ・・・そうだな」と短く答えた。


 ゴンは今カイトの元を訪れていること、用事が済めばすぐにでもキルアに会いに行くだろうという旨をレオリオは伝えた。
「わかったー、わざわざありがと。レオリオも勉強、がんばれよ!」
 キルアは最後にそう告げて、二人は通話を終えた。


 電話を切った後、レオリオの胸にはもやもやとした薄黒い感情が仄かに残されていた。
 晴らすことのできぬそれを紛らわせるように、チッと舌打をして、レオリオはホテルの部屋に備え付けられた冷蔵庫の中からビールの缶を取り出し栓を開ける。
 喉を通る冷たい炭酸は爽快感をもたらすが、舌に残る苦味が胸につかえる後ろ暗い気持をむしろ増長させる。


 レオリオは盛大に溜息を吐き、ゴロンとベッドに大の字に仰向けに寝そべった。














 成り行きで壇上に立たされた挙句の苦し紛れの選挙演説は、計らずもレオリオの真実の心情だった。
 ゴンやキルアたちの今までの苦労や努力を思うと、レオリオは自分の情けなさで消えてしまいたくなる。


 金さえあればなんだってできる。
 それを手に入れるためのハンターライセンスだったはずなのに、気づけばレオリオは未だ何も手にしていない。
 医者になるという夢も道半ば。むしろ、スタート地点にすら立てていない。


 ゴンが死に掛けていると聞いて居ても立ってもいられず駆け付けたは良いが、レオリオは集中治療室の外、ガラスの外からゴンの名を呼び続けることしかできなかった。


 己の無力さに、吐き気がするほど絶望した。
 親友が死んだあの時と何も変わっていない。


 あの時は金が足りなかった。
 金さえあれば救えた命だ。親友の命を救える金さえ持たない自分が情けなくて惨めで悔しくて、命を助けるのにあんなにも法外な金が必要な世の中が心底憎らしくて、しかしそんな惨めったらしい気持を懸命に押し殺して、レオリオは親友の名を呼び続け励まし続けた。
 それしか、できることが無かったからだ。


 そして、友は死んだ。


 あんな想いを二度としない為にも、他の人間にさせない為にも志した医者の道、その為のハンターライセンスだったはずなのに。
 それを持っていても尚、レオリオがゴンの為にできることはあの時と同じ、名を呼び続けることだけだった。


 ゴンやキルアが誰かの為に闘っていた頃、レオリオは自分の夢を叶える為の勉強に励んでいたはずなのに、それらの時間も努力もまるで無駄だったと言わんばかりの現実を突きつけられ、レオリオは再び世の中の非情さと不条理さに心底腹を立てた。


 金さえあれば、どんなものでも手に入れられるし、どんな望みでも叶えられる。
 そう信じて掴んだハンターライセンスだったのに、再び目の前に立ちはだかったのはどれだけ金を積んでも解決できない困難な現実だった。


 足りないものは何なのか。


 力か、覚悟か、志か?


 ゴンは、敵を倒す為に制約を課し半死の状態に陥った。
 キルアは、ゴンを助ける為に殺し屋一族である家族を相手に命懸けの駆け引きを繰り広げた。


 皆、命を懸けて己の意志を、志を貫いた。
 ゴンにもキルアにも、その覚悟があった。


(それだけの覚悟が俺にもあれば、ゴンはおろか、アイツの命も救うことができたのか?)


 人の命を救う医者を目指した自分の志を嘲笑うような今回の一件に、レオリオは少なからず心を消耗していた。


 誰を助けることもできなかった。
 また自分は、無力なままだった。


 悔しさと惨めさは、レオリオの心の真ん中に一点のどす黒い染みを落としていた。














 翌朝。
 二日酔い気味の頭を抱えて、レオリオはホテルのロビー階に降り立った。
 昨夜は飲んだくれ、酔いつぶれ、そのまま寝てしまったらしい。気づけば朝になっており、部屋には空き缶やボトルやグラスが散乱していた。鏡に映る己の小汚い顔も相俟って、朝から情けなさに沈む気持を払拭するようにシャワーを浴びてから朝食を摂りに降りてきたのだ。


 そこで、レオリオは思いがけない人影を見つけた。
 チェックアウトを待つビジネスマンでやや賑わっているフロントの横、ロビーのソファにちょこんと座っている、あの独特の黒髪の形は。


「おおぉ!? ゴンか?」
 大声を上げるレオリオに、呼ばれたゴンはソファに座ったままクルッと振り返り「レオリオ! おはよー!」と笑顔で手を振る。
 朝の陽光のような眩しい笑顔に、レオリオは思わず目を細めながら「おはよ」と微笑んでゴンの隣に座った。
 が、ゴンが手にしているものを見て、レオリオは思わずギョッとする。


「なっ・・・お前っ・・・何見て・・・!?」
 ゴンが手にしていたのはタブレット端末で、しかもあろうことか見ているのは選挙でのレオリオの演説シーンだ。
 少年が何故ここに居るのかなどの疑問も吹っ飛んで、レオリオはただひたすらに慌てふためく。
「バッ、お前、やめろ見るな止めろっ、ホラ消せ今すぐ消せホラ、オイ、こら、ゴンんん〜〜!!」
 レオリオの懇願空しく、画面の中の映像は既にパリストンの演説に移っている。
 ヒクヒクと引きつらせるレオリオの顔を見上げ、ゴンはニカッと笑んで見せた。


「もう5回も見てるんだけどね」
「そんなに何度も見るようなもんじゃねぇだろおぉぉ! ってかお前は見るな、見ちゃ駄目だろがぁ!」
 所構わず人目もわきまえず大声で怒鳴りつけるレオリオ。その大声と勢いに、ゴンは思わずぎゅーーっと目を閉じて耳を指で塞ぐ。
 叫び疲れてゼエゼエと肩で息をするレオリオに、そっと目を開けたゴンは再びニッと微笑んだ。


「ありがと、レオリオ。オレの為に必死にみんなに呼びかけてくれて」
 エヘヘ。照れたように嬉しそうに笑うゴン。レオリオは、その笑顔も言葉も、向けられることが妙に後ろめたくて「よせよ」とぶっきらぼうに告げた。


「俺は何もしちゃいない。礼はキルアにちゃんと言っとけよ」
 目を反らして低く言い放つレオリオに、ゴンは少ししゅんとして「うん」と頷いた。


 しばし訪れた短い沈黙を破ったのはレオリオの方だった。


「お前ら、やっぱすげーよな」
 頭の後ろに両手を組んで、天井を見上げるようにしながらレオリオがぼやく。ゴンはきょとんと見上げて「何が?」と尋ねる。
 レオリオは口元に苦笑を浮かべ、眼だけを穏やかにゴンに向けて呟いた。


「お前らいつも、仲間の為に命懸けて闘ってんだもんな。その点、オレときたら・・・」
 情けない自虐の愚痴を言ってしまいそうになり、レオリオは流石にそこで口をつぐんだが、溜息だけは零れ落ちてしまう。
 ハァ、と肩を落とすレオリオを、ゴンは複雑そうな表情で見つめていた。


「・・・違うよ、レオリオ」
 弱ったようなゴンの声にレオリオが目を上げると、ゴンは眉尻を下げて困った表情を浮かべている。
 首を傾げて「何が違うんだ?」と、レオリオはゴンに言葉の続きを促す。
 ゴンは、少しだけ躊躇するように唇を噛んでから、ポツポツと語り出した。


「オレが闘っていたのは、自分の為だよ。カイトを守れなかった自分の弱さが悔しくて、悔しくて、何とかしたくて、もがくみたいに闘ってた。もちろん、カイトを取り戻すためでもあったけど、それはカイトの為じゃなくて、オレ自身の為でしか、なかったと思うんだ・・・」
 ゴンは、膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締め、俯いて弱々しく言葉を紡ぐ。
 そんなことはない、と言いかけるレオリオに先んじて、ゴンが顔を上げて「だから」と続ける。


「レオリオはすごいよね! お金が無くて手術を受けられないような人たちを救う為に、色んなこと我慢して犠牲にして勉強してるんだもん。オレ、本当にすごいと思う!」


 真っ直ぐな眼差しで射抜かれ、レオリオはポカンとしてしまう。
 「・・・ハァ?」と、思わず素っ頓狂な声が口から飛び出た。
 何の嫌味を言っているのだろうかと訝しんでゴンの顔を覗き込むが、ゴンの眼は真剣そのものだ。


「ばぁか、お前・・・何もすごくなんかねーだろが、俺なんか。口だけだよ、口だけ。勉強するだけなら誰だってできんだよ。しかも俺はまだ医者にすらなれてねーんだ。俺にもっと力があれば、今回のことだって、俺がお前を・・・助けてやれたかも、しれねぇのに・・・」


 言っているうちに自分を責める気持が頭をもたげてくるが、それを振り払うようにわざとらしく笑顔を浮かべ「ま、お前が無事元気になったから、そんなことは良いんだけどな」とレオリオは空元気を見せた。
 釣られてゴンも「そうだよ、オレ、無事だったんだから良いじゃん」と調子に乗って笑顔を見せると「無事じゃねーだろ、お前が言うな! ったく、心配掛けやがって!」とレオリオが説教をする。
 テヘヘ、とイタズラ笑みを浮かべるゴンは「うん、だからさ」と笑顔を向けてレオリオに告げた。


「オレ、これからも自分の為に色々無茶しちゃうと思うから、また今回みたいにオレが大怪我しても良いように、レオリオは早くお医者さんになってオレのこと治してよね」
 どーーん、という効果音がつきそうな勢いで笑顔のゴンから飛び出したオレ様発言に、流石のレオリオも面食らってしまう。
 言葉の意味を咀嚼して理解した瞬間に「プッ」と噴き出してしまう。
 クスクス笑いながらレオリオはキルアの苦労を理解する。


(そうだよなー・・・コイツってこういうヤツだったわ・・・)
 頑固で一度言い出したら絶対に聞かない。
 けれどその強い意志と周囲を惹きつける力のおかげで、知らず知らずのうちにゴンの為に何かしてやりたいという気になってしまう。


「ったく・・・わーったよ。約束だ」
 ニッと笑顔を浮かべて、レオリオは拳を突き出す。ゴンも嬉しそうな笑顔を見せてレオリオの拳と突き合わせた。


「だからお前、俺がちゃんと医者になるまでは、もう二度と無茶すんじゃねーぞ」
 諭すようにレオリオが言い含めると、ゴンは「わかった」と目を合わせて頷く。


 その約束が、明日を生きる糧になる。
 自分の夢は、自分ひとりの夢ではないのだという信頼は、前へと進む力を生み出す。
 死んだ友への誓いは、今を生きる新たな友との約束に変わり、それを叶える為にまた、自分たちは歩み出す。














「・・・ところでお前、一体何しにここに来たんだ?」
 お前の恩人にはちゃんと会えたのか? とレオリオが尋ねると、ゴンはアッと気づいたように「そうだった!」と声を上げ、朝のホテルロビーに響く大声でレオリオに尋ねた。


「ねえレオリオ、ズリセンってどういう意味!?」
「!!!??」
 突然のゴンの爆弾発言にギョッとしたのはレオリオのみならず、善良なホテルの宿泊客たちも同様で。


「昨日、カイトに会いに行ったときに聞いてみたんだけど誰も教えてくれなかったんだ。ねーねー、どういう意味?」
 好奇心むき出しで大きな瞳でレオリオを覗き込むゴンに対し、レオリオは途方に暮れる他無い。
「お、お前の親父に聞けよ・・・」
 それだけなんとか答えたレオリオだったが、以前ジンを殴った手前、今度は自分が殴り返されるかもしれないなー・・・と不安に思う。


 あの選挙演説の動画は削除申請を出さねばとレオリオは常々思っているのだが、ハンター専用サイト公式動画の為、あれを削除するには相当額の金が掛かるらしい。


 やはり世の中、金、金、金。


 レオリオはげんなりと天を仰ぐが、真っ直ぐに見上げてくるゴンの瞳を見つめ返し、金では決して買えない命と絆を守れたことを、今は素直に喜ぶことにしたのだった。