魔物を外へ逃がさぬよう、迷宮は複雑難解に入り組んで建てられた。
望んで生まれた訳でもないのに、望んで人殺しになった訳でもないのに、迷宮に閉じ込められた魔物は王子に殺される運命にある。
光の加護を受けた王子。
躊躇なく、人殺しの魔物を殺すだろう。
だけど魔物は、どうして光の糸を辿って、外へ逃げ出すことを選ばなかったのだろうか――――
(うぅん・・・困ったぞ)
ゾルディック家本邸にて。
困り顔のゴンが、石造りの廊下をうろうろと歩き彷徨っていた。
旅の途中、キルアの家に行ってみたいと主張したのはゴンだ。
正確には、既に訪れたことにあるキルアの家というよりは、彼の部屋を見てみたかったのだ。
実家に帰ることを躊躇するキルアではあったが、一度ゴンの家に遊びに行っているため、ゴンの主張を無下に断ることもできず、渋々といった体でゴンを自宅に招待したのだった。
そこは、キルアにとっては当然見慣れた自室ではあったが、ゴンにとっては軽くカルチャーショックを受ける部屋だった。
大きなテレビが3台、壁面の棚いっぱいにゲーム機とソフトが並べられ、その他にも流行のカードゲーム用のバインダーや漫画、本、最新のパソコンやオーディオ機器などずらりと並べられていたが、それでも尚2人で鬼ごっこができるのではないかという部屋の広さだった。
「すごいね・・・キルア・・・」
呆然と呟いたゴンだったが、キルアにとっては「ハァ? 何が?」である。
元々理解していたことではあったが、金銭感覚の違いを改めて認識したゴンは、ひとつ溜息を吐いてから、「うぅん、なんでもない」とゆっくり首を横に振った。
それからゲームを始めた2人ではあったが、元々あまりゲームをしないゴンはその遊具に段々と飽き始め、ゲームのコントローラーを投げ出し、逆にキルアは久々のテレビゲームに味を占め、出奔する前にやり掛けだったソフトに手を伸ばし、ひとり画面に夢中になっていった。
そんなキルアの様子を見ているのにも飽きてしまったゴンは「ちょっと、キルアん家、探検してきても良い?」とゲームに夢中のキルアの背中に声を掛けた。
キルアは心ここにあらずの調子で「あぁ良いよ〜」と生返事を返す。
そうして、キルアの部屋を出たゴンは、おそらく未だ誰も、どんな優秀なハンターでさえも探索したことのないであろう、広大なゾルディック家本邸内の探検を始めたのであった。
そして、現在。
ゴンは途方に暮れて、うろうろと廊下を彷徨っている状況である。
元来たキルアの部屋の方向さえもよくわからない。非常に入り組んだつくりの廊下と、微妙に角度を調整された曲がり角が方向感覚を狂わせる。
そもそも、ゴンの方向感覚は野生の獣並であるため、道に迷うなど今まで一度もなかったことだ。
それが、この屋敷ではゴン特有の感覚も役に立たない。
(うぅぅ・・・探検どころか、友達の家で迷子になったなんて、ミトさんに言ったら笑われちゃうよ・・・)
弱気のゴンは足取り重く、右手で岩壁を辿りながらそれでも邸内を歩いていく。
(どうしよう・・・携帯もキルアの部屋に置きっぱなしにしてきちゃったし・・・)
まさか、こんなに邸内が入り組んでいるとは、当然思いもよらなかったゴン。
初めて味わう迷い子の感覚に、ゴンはとても心細い気持に陥る。
目を上げると、再び訪れる四つ角。
どの道を選んでもキルアの部屋に辿り着ける気がしないゴンは気分も足取りも重いままだが、それでもどちらかに進まなければならない。
うぅぅっとその場で悩んでいると、右の角の奥からほんの僅かな気配を感じた。
足音はまったく聞こえない、が息遣いや空気の流れなど、ゴンでなければ感じられないほどの微かな気配が四つ角の右の奥から伝わってきた。
本来であれば「助かった!」と喜ぶべき場面なのだろう。だが、進むべき道のわからぬ心細い気持がゴンを不安にさせ、角を曲がって現れるのは果たして鬼か蛇か、という気分にさせる。
ゴンはその場に留まり、呼吸を整え『纏』を行う。薄くオーラを纏い、慎重に相手が何者なのか伺うつもりだ。
ドクン、ドクン。
心臓が耳の奥で騒ぐ。
まず、床に影が伸び、次いで角から人の姿が現れた。
息を止め、相手の姿を確認したゴンは。
「あっ」
と、思わず声を上げ、相手もおや、とゴンの姿に気づき声を上げた。
「あ、ゴンだ」
とぼけた顔でとぼけた声を上げたのは、キルアの兄、イルミだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
思わず、しばし無言で見つめ合う2人。
イルミのことを、キルアに無理矢理人殺しをさせていた兄、という認識でいるゴンにとって、イルミはあまり親しみを持てる相手ではない。
だが、今の状況下ではこの男に縋る他ないのだと、ゴンは諦めに似た気持で弱々しく声をかけた。
「あの・・・」
「迷子なの?」
感情のあまり感じられない声でずばりと尋ねられたゴン。
その通りなのだが、『迷子』という単語の持つ幼児性に改めて恥ずかしさを感じ、「いやっ、えっと、あの・・・」と返事を濁らせ、たじろいでしまう。
そんなゴンの様子を、じっと見下ろすイルミ。
感情の伺えない眼で見下ろされ、居心地の悪さを感じているゴンの目の前に、スッと手が差し出された。
不思議に思って見上げるゴン。イルミの眼からは相変わらず感情を窺い知ることはできないが、その眼はジッとゴンの顔を見つめている。
「連れて行ってあげる・・・おいで」
手を差し伸べたまま、そう言ったきり動かぬイルミ。
(これは・・・手をつなげ、って意味なのかな・・・?)
んん? と首を横に傾げつつ、恐る恐る差し出された手を掴むゴン。
するとようやく、イルミは納得したように頷いて、踵を返し、ゴンの手を引きながら歩み出した。
柔らかなイルミの右手。
中性的なその手の感触を、ゴンは少し不思議に思う。
ゴンの知る『大人の手』は、もっと大きく力強い。
イルミの指は細長く滑らかで、ゴンがよく知る『彼』の手との違いに戸惑いを覚える。
(大人にも・・・色んな大人がいるもんね)
イルミの手の温度、手の感触を確かめながら、ゴンは手を引かれるまま、トボトボとゾルディック家の廊下を歩み出したのだった。
「磁場が強いんだよ、ウチ」
歩きながら、不意にイルミが話し出した。何事かと思い、ゴンは不思議そうな表情でイルミを見上げる。
イルミはチラリとゴンの顔を見遣って問い掛ける。
「方向感覚、狂っただろ?」
ゴンの考えを見通しているようなイルミの言葉。驚きつつも、ゴンはコクコクと頷く。
「山の中にあるからね。この山自体が変な磁力を帯びてるみたいで、方位磁石も狂う。元々の感覚が鋭い人間ほど、迷いやすい」
イルミの説明にゴンは納得半分、安心半分の気持になる。
(なんだ・・・道に迷うなんて子供みたいで恥ずかしいって思ったけど、そういう家なんだ・・・)
ホッと胸を撫で下ろすも、その説明ではまだ納得できない部分が残る。
ゴンは顔を上げてイルミに問い掛けた。
「・・・じゃあ、なんで更にこんなにわかりにくい構造の家を建てたの?」
問い掛けながら、此処はまるで家というより迷路に近いとゴンは感じる。方向感覚を狂わせるような土地ならば尚更、わかりやすく単純な建物にすべきだろうにと、ゴンは不思議に思う。
そんなゴンの問い掛けに、イルミ自身もふむ、と上を向いて考え込む仕草をする。
「ご先祖様が建てた家だからね・・・俺たちもよくわかっていないけど・・・そうだね、きっと」
言葉を切って、イルミがフッと浮かべた微かな表情は、自虐の笑みに似ていた。
「外に出しちゃいけない怪物が、棲んでいるからじゃないかな」
「・・・?」
イルミの謎の言葉に首を傾げるゴン。イルミはそれ以上何も言わず、ゴンの手を柔らかく握って、足音無く石造りの廊下を歩み続けた。
人を喰らう半牛半人の魔物は、迷宮の奥深くに閉じ込められて、外へ逃げ出さぬよう幽閉された。
魔物を倒す為、生贄に紛れて迷宮に忍び込んだ王子は、王女から預かった糸玉を迷宮の入り口から伝わせ、出口への道標とした。
王女アリアドネの糸玉が、迷宮から脱出する唯一の道筋。
闇の中でしか生きたことのない魔物には、きっとその光の道筋は眩しすぎたから――――
掴むことも、手を伸ばすことも、できなかったのではないだろうか。
イルミに手を引かれ、辿り着いた扉の前。
しかし、見覚えのない景色にゴンは首を傾げる。明らかに、キルアの部屋ではない。
イルミはその、大きな両開きの扉の片側をゆっくりと開ける。
中はキルアの部屋の半分ほどではあるが十分に広く、天井の高い静かな部屋だった。
最小限の家具やベッドしか置かれていなかったが、モノトーンで統一された落ち着いた空間である。
「此処は・・・?」
疑問をすぐに口にするゴン。イルミはなんでもないように「ん? 俺の部屋」と短く答えた。
その言葉に、ゴンは「えっ」と小さく驚きの声を発する。その声にイルミもまた「ん? なに?」と反応する。
「な、なんで・・・? オレ、キルアの部屋に帰りたかったんだけど・・・」
おずおずと申し出るゴン。迷っていたところを助けてもらった手前、中々強気には出にくい。
すると、ゴンの言葉に「え? そうなの?」と驚いたような様子でイルミが答える。
しかし、どうもわざとらしい反応だった為、おそらく確信犯だろうとゴンは推察した。
「・・・まぁいいじゃない。折角だし、ゆっくりしていったら」
感情無く言い放つイルミ。そう言われてもゴンはどう「ゆっくり」したらいいのかさっぱりわからない。
イルミの部屋にはソファやクッションのようなものは無く、ベッド以外ではくつろぐにもくつろぎようのない空間だった。
しかも、つないだ手を、イルミはまだ離さない。
「あの・・・手を・・・」
離して、とゴンが言い掛けると、イルミはその手に力を込めて強く引き、まっすぐに部屋を横切って歩き出した。
ゴンの身体は引き摺られるような格好になり、足に力を込めて抵抗を試みるも空しく、イルミの腕力に負けて転びそうになる。
傾いだゴンの身体をイルミはふわりと抱きかかえ、そのままベッドへと座らせた。
驚きながらも、ゴンは部屋から出るためにイルミの身体の脇を通り抜けようとしたが隙は無く、逆にイルミがゴンの身体を押し倒して更に自由を奪う。
「なっ・・・」
ゴンが見上げる、天井とイルミの表情。
相変わらずの無表情。
何を考えているのかよくわからないところは、どことなく『彼』に似ているけれど。
耳に掛けたイルミの長い髪がハラリと落ちて、ゴンの頬を掠めた。
柔らかい感触と仄かに香る良い匂いに気を取られた隙に、イルミの唇がゴンに重なった。
「・・・・・・っ!」
イルミは柔らかく、ゴンの唇を舌で撫でる。
その感触に、ゴンが思わず反射的に唇を開くと、イルミは舌を中へと侵入させ、舌を絡め、歯裏を撫で、ゴンの口腔を弄ぶ。
永く、甘いキスの時間が続いて――――唾液の糸を引いて、イルミがようやく唇をゆっくりと離した。
フツリと糸が切れて、唾液は玉となって落ちてゴンの唇を濡らす。
ゴンは、呆然とイルミを見上げている。
イルミは、濡れた唇を親指で軽く拭いながら、嘲るような表情を薄く浮かべて囁いた。
「・・・ふぅん・・・キス、初めてじゃないんだ」
その言葉に、ゴンの心臓はドキリと大きく脈を打つ。
後ろ暗い気持が込み上げて、ゴンは思わずイルミから眼を逸らす。
その反応が、イルミの言葉を肯定していることにも気づかぬほど、ゴンの中には焦りに似た感情が渦巻いていた。
イルミはそんな様子をつまらなそうに見下ろして、ゴンの耳元に唇を寄せて囁く。
「・・・誰に教えてもらったの? こんな、大人みたいなキス」
囁きながら、イルミはゴンの耳朶を食み、耳たぶに首筋に舌を這わす。「ヒッ・・・!」とゴンの唇から小さく悲鳴が漏れた。
「あー、わかった」
まるで、さも今気付いたかのようにわざとらしく言うイルミ。
本当は、もっと前から察していたのだろうけれど。
ゴンの髪を撫で、至近距離で表情を伺いながらイルミは囁く。
「・・・ヒソカ、だろ?」
「・・・――――っ!」
その名を出され、思わずカッと頬を染めるゴン。
そんなゴンの初々しい反応が可笑しくて、イルミは機嫌を良くして続ける。
「ふぅん・・・ねー、普段さー、ヒソカとどんなことして遊んでるの?」
言いながら、イルミはゴンのタンクトップの中に手を差し入れ、腹に胸に手を滑らせていく。
「や、ヤダッ・・・やめて・・・!」
ゴンはイルミを止めようと手首を掴んで抵抗する。
が、すると今度はイルミはゴンのタンクトップの裾を口でつまんでたくし上げ、そのまま露になった鳶色の乳首を舌でなぞる。
ピクン、と反応するゴンの身体。
その様子を見て、イルミはまた、フフと嘲るように鼻で笑う。
「ココ、感じるんだ? 元から弱いの? それとも、ヒソカに仕込まれて感じるようになったの?」
ゴンの反応を逐一楽しむように、わざと『ヒソカ』の名前を出して表情を伺うイルミ。ゴンの手を振り払い、短パンに手を差し入れ、熱を帯びたゴン自身にそっと触れてみる。
「やだっ・・・触るなっ・・・」
イヤイヤするように首を横に振り、涙を浮かべて歯を食い縛るゴン。
(こういう顔が、更に苛めたくなる気持を煽ってること、自分では気付いていないんだろうなー・・・)
表情無く、そう思いながら見下ろすイルミは、更にゴンの耳元で続ける。
「さっきからさー、ヒソカの名前出すたびにいちいち反応して、ゴンって可愛いね」
その言葉に、掌の中でゴンの熱と硬さが更に増すのを感じたイルミは、愛しさを募らせて追い討ちをかけるように囁く。
「ゴンはそんなに、ヒソカのことが好きなんだねー」
言いながら、決定的な刺激を与えぬよう、じれったくゴンの性器に触れるイルミ。
じらされる苦しさに、ゴンは涙を浮かべて切なげに息を吐く。
イルミがその表情を見下ろしていると、不意にゴンが声は無く、唇だけで言葉を紡いだ。
薔薇色の唇は、確かに、こう零した。
『・・・ヒソカ、助けて』
それを見たイルミは、愉悦と驚きが、ない混ぜになった感情を抱いた。
(へぇ・・・意外。ヒソカの片想いなんだと思ってたけど、意外と、ゴンも・・・)
そう思っていると、不意にゴンの頬を涙が伝った。
堪えていた涙が零れ落ちたのだ。
それを見た瞬間に、イルミの中の熱が冷め、興が削がれたように感じた。
イルミはゴンの下着から手を抜き去り、身体を起こしてゴンを解放してやる。
そしてイルミ自身は、ゴンの隣、ベッドの上にボスンと仰向けに横たわった。
一方、突然自由になったゴンは、キョトンとしてゆるゆると身体を起こし、不思議そうにイルミの顔を覗き込む。
イルミは両腕で顔を隠すような格好で、ベッドに仰向けになっている。
不思議なことに、いつもの無表情のイルミよりも、顔を隠した今の状態の方が感情が見えるようにゴンは感じた。
今、イルミは『哀しい』とか『切ない』とか、そんな感情を抱いていると、ゴンは直感する。
「・・・ゴン」
イルミが、静かにゴンの名を呼んだ。呼ばれたゴンは、無言でイルミの顔をそっと見下ろす。
「俺はいつか、キルアに殺されるのかもしれない」
(否、殺されたいのかもしれない)
イルミは思う。
自分がこのゾルディック家の迷宮に捕われた魔物なら、王女の加護を受けて自分を殺しに来るのはキルアだと。
ゴンという光の糸に愛された弟を、心のどこかで羨ましく思いながらも、愛する弟に殺されるなら本望かもしれないとイルミは思う。
「そうしたら、ゴン・・・お前は、俺のために哀しんでくれる?」
イルミが、そう問い掛けた瞬間――――
――――ボスン!!
柔らかな衝撃が、イルミの頭を包んだ。
驚いて、顔を覆っていた腕を除けると、目の前には涙を堪えるように歯を食い縛ったゴンが、両手で枕を抱えてイルミを睨みつけていた。
「・・・なんで、そんなコト言うんだよ!?」
本気で怒っている口調で、イルミに詰め寄るゴン。
その勢いに、イルミは思わず面食らう。
「キルアはお前の弟だろっ!? 弟に殺されるとか、そんなこと・・・オレが、絶対させないからな!」
ギッと強い眼差しでイルミを睨みつけるゴン。その眼は、どこか哀しそうだとイルミは感じる。
ゴンは、ふっと視線を落として続ける。
「キルアにだって・・・キルアにだって、実のお兄さんを殺す咎なんて背負わせない。俺が絶対、殺させない」
言い切り、再び眼を上げるゴン。
その、強い眼差し。
それを見て、イルミは、ああそうか、と納得する。
(ヒソカは・・・コレに、絡め取られたのか)
人を殺めることにしか興味のなかった男が、或る時から急に執着するようになった少年。
成長したら刈るのだと嘯いていたが、その割には猫かわいがりしているようにしか見えないヒソカの様子に、イルミは弱冠辟易もしていたのだが。
その理由も、今ならなんとなくイルミにも理解できるような気がした。
光の糸玉が、迷宮を転がる。奥深く、奥深く、魔物の元へと転がっていく。
暗闇を照らす、光の道筋。
(・・・俺も、手を伸ばしても、いいのかな)
俯いていたイルミが、迷いながら視線を上げる。
すると、そこには小さな掌が差し出されていた。
不思議に思い、イルミがゴンの顔を見つめると、ゴンはニッと笑んで言う。
「オレひとりじゃ、キルアの部屋に帰れないでしょ」
眩しい微笑みは、しかしイルミの手の届く場所に在る。
「いっしょに、いこうよ」
そうして、差し出された小さなその手を。
イルミは手を伸ばし、優しくそっと掴んだのだった。